日記:2月コミティア申し込んだ/「言葉は生き物」と、言葉狩りの境目

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コミティア155、来年2月22日にある一次創作オンリーイベントの申し込みを完了した。コミティアは一応毎回抽選が行われる。倍率は変動するが一応、基本的に受かるものと思って飛行機やホテルを予約する。

見つからない。いや結果的には見つけたのだが、普段遣いに愛用しているホテルは、そもそも空いていないか値段がつり上がっていて手が出せない。それもそのはず、よくみると2月23日は天皇誕生日になっていて記憶に新しすぎる3連休が爆誕していたのである。そのせいだけなのかはわからないが、連休最終日とその翌日で飛行機の値段が¥12,000ほど違っている。食費など細かい出費を度外視すれば、宿によっては1泊増やしたほうが安くなる有り様である。あまりこのような事態に直面したことがなく、いささか動揺した。

さて2月下旬はそれなりに忙しいはずである。なんといってもここ数年は2月コミティアには出ずに丁寧(当社比)に確定申告をしたり、卒業シーズンに合わせたあたまのわるい歌動画をせっせとつくったり、長期休みに合わせたpixiv用の投稿などを用意したりとそれなりにあわあわしている時期である。本来通りに行くならば、割高になった飛行機代に歯を食いしばりながらさっさと帰って庶務を果たすべきなきもするが、なんか悔しい。よほど何か東京で見たいものがないのならさっさと月曜に帰ったら良い気もしたが、ここでいつも諦めていた1つのことを思い出してしまう。

ライオンキングの有明公演である。劇団四季である。

毎年参加させてもらっているデザフェスなども土日を使うことが多いイベントで、ちょうど有明あたりで宿もとったりする。劇団四季の劇場も、有明にある。であれば、土日あくせくはたらいたあとに月曜に優雅に舞台でも見ようではないか、とかねてより何度か思いついてはいたのだが、その度に月曜の「休演」の2文字に涙を流したのであった。まあ、土日がカキイレ時で本番なのは、あちらも同じであるからしてどうしようもない。

…と思っていたところに、幸か不幸かの三連休の公演である。なるほどそういうこともあるのか、ということで、せっかくの機会と思ってS席を迷わず選んで予約した。こういう、たまの舞台は一番良いグレードの席を選ぶようにしている。経験上、それで後悔したことは1度もない。あとは無事、コミティアの当選を待つのみである(落ちたら一緒に泣いてほしい)。

デザフェスの申込みや飛行機・ホテルの手配もしなければならない。移動宿泊手段の確保の難易度は以前より上がっているように思う。気忙しいようだが、余裕をコイているとまた「ホテルがない!」と慌てることになってしまうので、善は急げである。

ちなみに、舞台のチケットをとってしまったので2月上旬にある合唱団OBとしての札幌行の確率はおどろくほど低下してしまった。気がする。もし行くことになればひとつきの間に2つもホールで芸術を浴びることになり、随分と豊かな冬になるのだが、可能性は流石に未知数である。(働くぞ❢)まあ、東京に行くことになれば久しぶりに大学の合唱の後輩と飲む予定はあるので、それでよいことにするという話もある。

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さて、以下は「なんかしゃべること思いつかなかったときように昼間に日記っぽいものを書いておこう、と思って書いた文章である。長くなるが消すほどでもないので、少し長めの日記として消化してもらえればと思う。

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「せいぜい頑張ってください」と聞くと、どんな感じがするだろうか。私にはどうしても嫌味っぽく聞こえるのだが、上の世代からすると必ずしもそうではないらしい。

引用元 https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20150601_3.html

「言葉は生き物である」という言説をどのくらい是として野放しにするべきかは疑問が残る。あんまりにも言葉の意味が一意に定まらないというのも不便極まりないし、いちいち「それってどっちの意味?正しい方?」と聞き直すコストも無視できない。

一方で、言葉を使う人間が生き物なので、世代が移ろっていく過程できっちりとした杓子定規な運用にとどまるはずもないし、固定できない。いままで甘いと感じていたものを、苦いと感じろと言われても、正直キツかろう。「せいぜいがんばれ」と言われて、嫌味と感じる心をいちいち調教するほうが無理筋ではないかなと思う。

できないことにどのくらい踏ん張るべきかという、程度の問題になるのだろうか。私にとってあまりにややこしいので日記で触れるには荷が勝つ問題である。しかし、もう少しだけなにか書いてみる。

1つ思うのは、たとえばコロナ感染が広がりはじめた当時。症状の重さで「軽症、中等症、重症」という言葉がニュースやSNSを飛び交った際に「この症状の辛さで”軽症”だなんて!」とうろたえる投稿がTwitterあたりで相次いだことが記憶にあたらしい。

こうしたときは、ちゃんと医学的に使われている「軽症」という意味にちゃんと沿ってリアクションすべきと思う。一般人がなんとなくイメージする「軽症」と、学問的な「軽症」では意味や強さ、区切り方などなにもかも違うはずである。素人が大騒ぎして現場に迷惑をかけるのは違うはずだ。

つまり、ある程度専門性を孕んでいる単語について「なんとなく」使うのは良くないんじゃないか、という話である。私に推測できるのはそのくらいである。とはいっても、私は絵描きとして日常的に「アナログ(手書き)」や「厚塗り(なんか油絵っぽいテイストの、線画より色線メインの絵)」などの言葉を使っている。本来のアナログ(連続的)デジタル(離散的)からはかけ離れているが、絵描き界隈でのコミュニケーションでは誤用のほうで浸透している部分が大きかろうと思う(推測)。こうした流れを、一人の人間の努力で巻き戻せるというわけではないので、はて、どう振る舞うべきだろうか。私にも、知らずに多くの誤用が染みつているはずである。

せいぜいできるのは、言葉が「どう変化していったか」という歴史を一緒にいくらかでも把握しておくくらいではないかと思う…という程度の、適当な感想しか持てない私の不真面目さも一緒にここに告白しておくことにする。


言葉狩りをするのでなく、かといって猿のように野放しでもない言葉との付き合い方というものはないものだろうか。

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ここまで読んでくれてありがとう。ちなみに今日は今日で自分の絵を2、3枚ほど、裏の仕事を少々進めた。思ったより捗った1日であった。先に自分の気になっている絵をやるのは精神衛生にやはり良い。少なくとも、いくらかはすっきりする。明日からもまた頑張ろうでわないか。あと、おかげさまで微熱は引いた。

でわでわ。寝るのだ。

日記:37.0℃。微熱。

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昨日の夜は寝苦しかった。おそらく既に若干熱がでていたのだろう、今朝起きたら体温計は37.0℃を指していた。喉がすごく痛いとかではないが、全身を気だるい悪寒が包んでおり、頭がぼうっとしている。今日からまたバリバリなにかしようと思ったところなので鬱陶しく思うが、止まっていた仕事のノルマのせめて半分だけでもと思い、休み休み手を付けた。

生活習慣的になにか免疫が低下するようなことをした記憶はないのだが、どうも風邪をひきやすくなっているように思う。スッキリしないものである。少なくとも、やってきつつある冬に備えて足元の冷えには重々気をつけたい。

家にあった市販の薬を飲んでなんとなく楽になったような時間帯を利用して少し眠った。悪寒があったほうがむしろ寝付けずうなされるので逆にその時間に仕事をしてしまった。普通逆だとは思うが、結果的に自分のなかのノルマの75%くらいは手を付けた感じになった。どういうわけか、昼寝もしたはずなのに、今日は1日がなんとなく長かったのである。

ごちゃ絵のようなもの。作業時間はおそらく30分くらい。

加えて、最近は自分の絵を描けていないのでごちゃ絵のリハビリと称して少しなにか描いた。1日をこうして終わってみると、ふつうに元気でいる1日と作業量がさほど変わっていない気もする。無意識に1日のノルマを「体調がちょっと悪くてもできそうな量」にしていたのか、シンプルにいつも余裕をこいて手を抜いているのか、判然としない。よくわからないが、今日はさすがに早めに寝ることにする。読者の皆も季節の変わり目の折、体調を崩されないように。

母船からはぐれたが不時着先での主婦業が染み付きすぎて帰れない宇宙人(42)

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母船からはぐれたが不時着先での主婦業が染み付きすぎて帰れない宇宙人(42)

にっきっきっき。ーとくにエアライダーしかしてない日。

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今日は力いっぱい日曜日を満喫してしまった。具体的には、カービィのエアライダーのストーリーを最初から一周するまで、一気にやってしまった感じである。配信をしようと思うと積みゲーになる確率が跳ね上がってしまう一方、オフでいいやと思えば一気に消化できることがバナンザでわかってしまったので、結局そうなるか、とも思う。なんともはや。

今日は、あとはちょっと机の上の散らかった書き散らしの紙を整理するのと、お絵かき冬合宿の告知投稿をする程度で今日の仕事らしい仕事は終了である。もう少しなにかできた気もするが、今日は「日曜日」という気持ちが強かった。そういう回もある。

明日は世間は勤労感謝の日らしい。しかし自分はあまり3連休的な動きをすると仕事のリズムが狂ってしまうので、ふつうの月曜日だと思って仕事を再開する予定である。一度にたくさんこなそうとするより、リズムを一定に保つほうが、むずかしいが有益と思う。

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はて何か日記にしようと思っていたことがあった気がするが、とくに思い出せない。夕方の散歩のすっかり日が短くなったことや、それでも夕焼けの情熱的なコントラストが変わらず胸を熱くすることくらいしかサッと思いだせない。ああ、コミティアの申込みをしようと思っていたのをまた先延ばしにしてしまった。明日の午後にでも、パッとやっておこうと思う。5月デザフェスの申込みもある。

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なんとなく今日は眠くなるのが早い。なんとなく体がダルいような気もする。早く寝てしまおう。

眠るのである。

にっきっき:冬のダウンをかったよ

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おえかき配信のあとにぶいちゃをしたのでかなりねむねむだ!2秒で日記を書いて寝るよ❢❢❢❢❢❢

冬のダウンを買ったよ。道民の冬の外上着はモコモコしてるよ。
本州のおまいらが着るものより一段階モコモコしている可能性があるよ。でも比べたことがないからわからないよ。

めんこいね。

おやすみ。

日記:マンガと、視覚優位について

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昨日は爆裂に日記を忘れた。よほど疲れていたのだろうか、とてもナチュラルに日記を忘れて床についてしまったのである。今日もちょっとうっかり日記を忘れそうになったが、ちゃんと思い出した。

昨日あげた動画が、前回の動画に引き続き好調な出だしで伸びつつある(当社比)。率直に嬉しい。どういうわけか動画を上げた告知のツイートもうっすらと伸びている。通常、配信や動画の告知ツイートは伸びない傾向が強い。最近のツイッターは、わからない。

昨日あげた「漫画を書くハードルを下げる」の動画は、はからずも「視覚優位」の人間としての漫画アプローチになったと思う。わたしは言葉ではなく視覚がいつも先に来る。漫画を思いつくとき、映画の予告編のようにバラバラのシーンが別々に浮かび上がってくる。良さそうなクライマックスのシーンとセリフがバンと頭に思い浮かんだとき、そのクライマックスのためだけにでも漫画を描こうという気になるわけである。勿論、生まれついてそれができるというわけではなく、漫画をやっているうちに訓練された部分は大いにあるのだが。

「YAWARA!」や「20世紀少年」で有名な浦沢直樹先生も、どこかのインタビューで似たようなことを仰っていた。というか、わたしはむしろ、自分の漫画を描き始めつつあった頃にあって氏のインタビューに出会い「あ、そのやり方、わかるかも!」と勇気をもらったクチである。おそらくだが、優位な感覚が似ているのだと思う。

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漫画はまず見た目と思う。小説や新聞と決定的に違うのはまさに「見た目」と言って差し支えないはずである。視覚優位の人間に有利なメディア…なのかまで断言するのはいささか行き過ぎという感が強いが、その性質上、有利に働く側面は決して少なくなかろうと個人的には踏んでいる。

個人的に、あるいはYouTubeの動画や配信に寄せられる相談としては、「物語は思いつくが、漫画が描けない」というものである。現在の私は、不遜な言い方になってしまうが、これにあまり共感できていない。物語があるのであれば、あとは描くだけではないか、などと悠長に思ってしまうわけである。しかしそれでは相談者に寄り添ったことにならないし人の役にも立ったことにならない。なにか考える必要があると思う。

描きたい絵の練習をする、構図の引き出しを増やす、ということは大前提としたうえで、そうしたできごとの、なにか「ちょっと前」のところで引っかかりがあるような気がする。「物語→漫画」がスムーズに行かないという人の話を聴く限り、なにか、私がちょうど共感できていないところで止まっている。はたして、それがどこなのか。よくわからないが、「とにかく画力をあげればいいんだ、練習しろ」だけだとケアできない何かが潜んでいる気がしてならない。(気のせいかも知れない)

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当然のことながら、6つの感覚ー見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れる、考える(言葉)ーのどれが鋭いのかは人による。わたしはYouTubeや自身の技法書では一貫して「見た目」だけでどうするかというアプローチを紹介してきた。なんというか、やはりどう振り返っても、視覚優位的アプローチが中心だと思う。

で、一方で漫画の「おはなし」を考えるとき、おそらく「言葉」「考える」の領域が一生懸命働く。気がする。わからない。とりあえず仏教では、言葉・想像する・概念をあれこれいじる、などの頭でやることはすべて「意」という一言でまとめている。わたしたちが言葉をしゃべったり、物語を理解するのは、すべてこの「意」という感覚での出来事である。

わたしはおそらく、言葉だけでお話を考えるという状況にいまいちピンと来ていない気がする。勝手な解釈だが、「意」と「眼」の連携がつよい気がする。物語が思いつくということは、ほぼ同時に、対応するシーンが視覚的にある程度は思い浮かんでいる状況だろうと無批判に信じてきた。すべての人間が、練度の差こそあれそうだろうと勝手に思っていたが、どうも違うらしい。

(これは余談だが、将棋の藤井聡太さんの、将棋を打つとき盤面をイメージするのではなくシンプルに棋譜だけで手を読んでいるというエピソードを聞いたとき、それがどういう状況なのかわたしには全くわからなかなった。これはこれで、全く共感できない状況である。さすがに私だけじゃない気もするが。)

何から手を付ければいいかまだわからないが、「物語→絵、シーン」の手続きをなめらかにする方法を開発するなりなんなりすれば、私はいままで力になれなかったタイプのひとたちの役に立つことができるのだろうか。正直、言語優位で絵のアウトプットを後天的に獲得したタイプの作家さんがいればその人がいちばん師匠としてふさわしいと思うのだが、誰がそれに当たるのかわたしにはよくわかっていないし、そういう作家さんの友達もいない…….。

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場合によって、自分ではやっていないような技法を人様に紹介するようなことになるのだろうか?自分とタイプの違う人間の役に立つとは、そういうことも含むような気はする。自分でやっていないのに良いのか?とちょっと思ったが、たとえば医者は患者さんに出す薬をさすがにすべては飲まないはずである。たまたま風邪を引いて同じ薬を飲むこともあるだろうが、全部いちいち患者に合わせて飲んでいたらたちまち死んでしまうはずである。例え話が適切かはわからないが、そんなアクロバティックなことを私はする日が来るだろうか。どうなのだろうか。話がややこしくなってきたので眠たくなってきた。

とりあえず、「言葉→ビジュアル」のリンクのつくりかたみたいなところでなにか動画が作れないだろうか。自分の右脳になんとなくキューを投げておいて、今日は眠いので寝るのである。もしムリポということであれば、またなんか違うあれを考えようと思う。

おやすみである。寝るのである。

日記:なんとなく順調、premiere proの細かい要領など

今日は全く絵を描かなかったが、仕事というか、自分のやりたいことの整理というか、イメージがついたので「かねてより作りたかったもの」にちょっとだけ着手した。最近ずっと言っている「裏の仕事」とは別である。

昨日も日記をわーっと書いたおかげかはわからないが、自分が1年をどう過ごし、どの時期にどんなアウトプットをしていきたいのか、そうしたことの事務的な整理が、どうやら寝ている間に脳の深いところで進行したらしい。昨日の夜のフニャフニャフンフンしていたことが嘘のようである。たまには愚痴っぽいフニャフニャフンフンした日記も書いてみるものだと思った。

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今日はお袋の眼科の病院に送迎をするミッションがあり、帰りに昼飯としてマクドナルドを買ってきた。調子に乗ってハンバーガーを2個も食べてしまったので、案の定午後は昼寝をしてしまった。今日はなんとなく昼寝してしまおう、という気持ちが最初からあったので、予定通りであるからして問題ない。ことにする。

部屋がいよいよ乾燥するので加湿器を稼働する。わたしの喉を一冬守ってくれる心強い味方である。ものすごい効き目、というほどでもないが、いないよりはマシである。

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明日あげる動画をポコポコとAdobe Premiere Proで編集する。動画をある程度作っていると、わずかずつだが要領が良くなっていく部分がでてくるものである。

「お話系」と自分で呼んでいる動画の形式がある。適当に撮りためた動画の早回しを背景にして、創作系の持論を展開して終わるタイプのあっけない動画の一群である。話す内容だけGoogleドキュメントで都合1,2ページ分原稿としてしたため、OBSで録画してPremiere Proに放り込む。ひととおりクリップをトリミングし終わったら、配信なりBDメイキングなりの適当なストックから1つ選んで背景にする。あとは適当にタイムスタンプを入れて、サムネをいいかんじで用意すれば完成である。まあ、サムネが一番大変なのだけど。

自分の喋っている動画の音声波形を頼りにザクザクと編集点を入れていく。以前はいちいち音声を聞きながらトリミングしていたので手間だったが、最初の編集点を入れてセリフの間の空白を詰める作業のときは純粋に波形だけで区切っていけばよいと今更気づき、ザクザクと切る。無音部分だけを削除すると「歯抜け」のようなクリップの列になるが、クリップのスキマを一括で詰める「ギャップを詰める」という機能があるので助かる(今日知った……..)。
まあそれはそれとして、字幕を入れる際にどうせ音声を聞きながら調整するので、言い淀みやつっかかりなどはその際に弾けば問題ない。とても細かいが、これも要領である。

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お話系の動画をどのくらいの頻度で投稿するかという問題はある。話している内容にもよるのだが、こればっかり上げていると、お絵かきチャンネルとしてお茶を濁している感は強くなっていくので多用はしたくない。が、力の入った技法系の動画をつくる余裕が、10月の「モブを量産する」動画を最後にして確保できていないのである。これはまあ、「裏の仕事」が充実している証なので、すまんという感じである。大丈夫、待たせた甲斐はあるなにかが待っていると信じていてくれ。

目下、動画を上げるリズムや年間にあげられそうな本数を事務的に割り出す作業を進行中である。絵がだいたい1日1ページなんかやればなにかなんとかなりそうなので、動画についても似たような整理を適用して、事務的に快適にしてしまいたい狙いがある。まあ、もう少し時間がかかりそうではある。

なにはともあれ、漫画の描き方のアウトプットを増やしていきたいという気持ちに嘘があるわけではない。自分の事務周りが整っていくにつれ、自分がむしろ創作上の手法としてうまくやれていた部分の「事務」をより自覚するようになり、解説に身が入るようになったところが多分にある。良いことだと思う。

そしてこれは言いにくいことなのだが、あたまのわるいショートのネタが最近ストックされてきていて良くない。いや、いいんだけど。いいんだけど、もっとこう、絵の動画というか、こう、そっちを…ねぇ?

まああたまがわるい動画だろうとなんだろうと、テンポの良い楽しい動画が作れると気分が良い。というより、ショート動画をつくることに最近少し慣れてきたというか、イメージが湧くようになったところもある。ふつうに技法系のショート動画でも似たようなテンポでやれそうなイメージが少しずつ湧いてきており、目下右脳の底の方で案出し中である。きっちりした絵の動画もあってほしいが、アウトプットする気になるならこの際なんでもいいのかもしれないと思うことにする。

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YouTubeまわりの「事務」、イベント周りの「事務」、漫画・BD制作の「事務」…色々な事務を整えることで、やりたいことがたくさんあって散らかっていたものがやっとマシに回せそうな雰囲気だけは出てきている。なにはともあれ、頭と心の混乱が減ることはよいことである。

眠るマンである。寝るのである。

日記:釧路の、初雪など。

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午後に雪が降った。降ったと言っても、ほんとうにチラ、チラ、といった具合である。母から電話で報せが来なければ全く気づかなかっただろう。

初雪が降ったからと言っていきなり雪が積もるわけではない。北海道でも札幌など日本海側ならばまだ事情は違うだろうが、太平洋側で突然市街地で雪が積もるほどの降雪に、それも11月のうちに見舞われることは記憶の限りほとんどなかったはずである。少なくとも釧路において、私が過ごした35年ではまず思い出せない。

まあそんなわけで、「これからそちらに向かいますよ」と電話だけ入れたような初雪になった。なんにせよ、これで釧路にも冬が来たのだろう。遠方より来る朋に胸を躍らせつ、午後に仕事の続きをする。

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1日の分の仕事をこなしつつ、配信で描いた漫画の続きを描くなどした。やはり漫画を描けた日は気分がいい…が、何となく事務的に悩んでいる時間が増えた。

そろそろコミティアやデザフェスの申込みをせねばならない時期が来ている。いずれも12月上旬頃には締め切ってしまうのでうかうかしていては機を逃してしまう。さっさとすればよいのだが今日もまだしていない。(デザフェスに関しては、申込み開始は来週11/25であった。)

イベント参加とはどうしても先立つものがある。金である。イベントの出展料だけではなく、道東からの参加ゆえに飛行機代+ホテル代が無条件で追加される。出費がかさむ時期になると恒例のことなのだが、いつも事務的に不安が募ったりする。

ざっとイベントにかかる経費を再計算したりして落ち着きを取り戻そうとする。一応2018年以降、イベントで赤字になったことはない…が、かといって余裕シャクシャクというわけではない。1回のデザフェス参加にかかる費用は上がり続けており、加えて搬入出の段ボールの量がかさんだりなど、それこそ事務的なミスがあったりして思ったように実入りがないことも増えた。イベントそのものを楽しむことも大切だが、アイテムの種類を絞るとか、しっかり経費を見直さねばならないんだよなぁという思いが浮かんでくると、はてどうしたものかと胸が沈んでならない。まあ、とくにデザフェスは当選してから考えることなのだが。

色々なアイテムを興味本位で増やしていったことで、イベント準備を自分の手でややこしくしている気がしてならない。巨大ライペ参戦以降どうしてもそういう傾向が拭えないままここに来ている気がする。シンプルにアイテムの仕入れ方が下手くそで経費に倒れている部分もある。グッズ自体は腐るものではないので1回で売れなくとも次回以降に持ち越せばそれでよいのだが、大人しく漫画の新刊を1つ増やすほうが自分としては確実といえば確実である。だがあまりそう経費、経費…と考えているとイベントの「面白み」みたいなことも一緒に忘れてしまいそうになり、加減がわからない。「売れ残らないかなぁ」という気持ちのほうが先に来すぎると、自分が面白がってグッズを作るというセクションが、悲しいことに抜け落ちてしまうわけである。

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…という感じの、頭の中でのジャグリングが、この時期と2月の確定申告あたりでだいたい発生する。

で、大体いつも結論に来るのは、
・無茶な数を希望的観測で仕入れない(売る自信のある分だけ仕入れる)
・余計な削れる経費がないか再確認する

の2つである。うーん、地味。そんなものだと思う。一応両者、すこーしずつだがマシになっては来ている。どうしても仕入れに自信がなくなったら、いざとなれば豆色紙などのセクションを思い切ってドカンと増やせば原価的には強制的にだいぶマシにできる。画集の仕様も工夫して経費は少しずつ減らせているし、BDをA5にする選択肢が増えてから原価面で少し楽になった面もあるにはある。

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イベントを楽しみつつも、ちゃんとお金の心配や準備自体のややこしさが減るように、リアイベ周辺を至って事務的に整理して快適な活動リズムにしていきたい。細かい工夫あるのみである。就寝。

日記:喉の調子が良くなる時間帯の話。

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今日は風の強い日だった。雨も降っていたが、午後にはそれなりに晴れて暖かくなった。

ふつうに仕事をノルマ分進められてゴキゲンな日になった。昼は少し食べすぎたのもあり眠くなったが、なんとか昼寝せずに済ませた。

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眠くなったタイミングで歌の収録でもすれば気が紛れる…と思ったのだが、実際には眠くてそれどころではない。散歩のほうがまだ現実的だと思う。

加えて、喉がちゃんと起きてきて歌うのに適した感じになる時間帯というものがある。起床から最低8時間後、欲を言えば10時間~12時間経ったころがベストである。

喉というのは起床してすぐに起きるわけではない。ちゃんと目覚めて布団を出て活動を開始してから、ゆっくりゆっくり起きるわけである。合唱をやっていたとき、本番のステージがある日はちゃんと歌を歌う時間帯から逆算して、昼寝などせずしっかり起床しておく必要があったわけである。

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そこにいくと、今日面白いことに気がついた。いつもの起床がだいたい8:30~9:00なので、起床後8、10時間後というと、歌うのに適した時間は16:30~18:00くらいにやってくることになる。

振り返ってみると、晩飯前の時間帯~風呂に入る時間帯はいつもしっかり喉が起きていた。風呂でゴキゲンに歌を歌えたりするのも、起床してから十分な時間が立っているからこそである。そうか、歌の収録は晩飯前18:00からやって、晩飯時に切り上げればこのあたりの時間を有効活用できるのか。

前に1日のスケジュールを組み立てた時の話だが、このあたりの、夕方の散歩から帰ってきてから晩御飯までの時間帯を若干持て余していたのであった。ちょうど空いていたスペースに、それなりに合理的な理由でそれっぽいスケジュールがパズルのようにハマるような気がする。毎日コンスタントに歌うかどうかまでは謎だが、今まで考えていたスケジュールのどれよりも正当性があるような気がする。とりあえず有力候補として押さえておこう。

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まあそんなわけで、今日もすこし歌の収録をした。喉の調子は良い方であったと思う。ノリノリで収録しているが、ハモっているというよりはただおじさんがノッているだけである。まあ、自分のハモリたい欲を満たす歌動画としては十分だろう。

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思いつきで午前の終わりに、海外でバズっていた「斜めに見上げたフリーレンってどう描くの?」というツイートに引用リツイートで載っかって持論を放り込んでみた。

最近のツイッターは引用RTが活発に伸びている印象がある。とてもどうでもいい、「これがなんで伸びているのか?」みたいな引用まで伸びているのでいささか見境ないような印象があるが、とりあえずそういう傾向があるのであるから一旦乗っかってみることにする。はたして結果は….なんと、思ったより3倍くらいは伸びている。日記を書いている時点では4,500いいねほどに伸びていた。とても気味が良い。が、フォロワーの伸びは+20くらいで、思ったよりは渋い感じであった。(海外のツイートに乗っかっているので本当は英語で描いたほうが親切だったかもしれない)。

顔の角度を攻略するとき、わたしはだいたい目の角度を捕まえることを最優先にしている。左右の目であまり角度を変えることはしない。それをやると、難易度が一気に跳ね上がるので普段のお絵かきでは多用しない。そこまでしなくても、日常的なコマでつかう分には左右の目の角度をめちゃくちゃ変える運用はしなくてもある程度回せたりする。

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眠る。仕事の進展もあったので、なにかと今日はいい気分で1日を終わる。ちなみに、バナンザは破壊実績以外の収集要素をコンプリートしてしまったので、次のゲームとして、かなり重い腰をあげてカービィのディスカバリーを裏ではじめてしまった。配信をつけてもよいのだが、まあ、適当である。カービィかわいい。睡眠を取るである。

日記:急に、「無我」について話す回

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「本当はこの世に誰もいない」と言われたら、あなたならどう思うだろうか。何言ってんだろう、と思うだろうか。
松村としては、実は、これが結構ホッとするのである。今日はこの話をしよう。


今日は1日中バナンザをやり込んで収集要素をほぼコンプリートしてしまったという日曜日の充実ぶりだったので、仏教デッキを浅めに展開して最高の締めにしていこうと思う。

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仏教は「すべての悩みは”わたしがいる”という誤解から始まります」と言っている。わたし、という気持ちがあるから「わたしが傷ついた」「わたしが悪口を言われている」「わたしが馬鹿にされている」「わたしのものが取られた」…などなど、様々な苦しみがとめどなく湧いてくる。ざっくり大筋を言うと、そのようなストーリーラインである。

こうした「よくよく調べたら、“私”と呼べる実体はどこにもないよ」という仏教の発見のことを無我と呼ぶ。「諸法無我」とか言ったりもする。気がする。

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小難しい話は抜きにして、わたしは「無我」の話を聞いたり思い出したりするとき一番ホッとする。なんというか、ああ、それでいいんだ、と思う。

誰もいないのだったら、いままで俺は誰に気を使って生きていたんだろう、なぜあんなに悩んでいたんだろう、という、すごく気持ちがアースされた感じになる。敢えて言葉で説明するとそんな心模様である。

私はひとりでいる時間が好きだ。誰にも気を使わなくていいからというのが主な理由である。これは裏を返すと、「だれかがそこにいる」と思うと、それだけでちょっと心を使ってしまうということであり、勝手に疲弊しているわけである。好きにしていればよいのに、勝手に疲れている。

私は別に「他人に気を使って生きてきましたよ」というデキた人間ではないのだが、一人が好きということは、結局は世間とかヒトに対して、よくわからない気の張り方をしているのだろうと思う。

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もし「無我」という話がそのとおりなら、ガチでほんとうの意味で、誰もおらんということになり、この「気を遣う」みたいな疲れ方自体が無意味ということになる。気を遣う「わたし」も、気を遣う「そいつ」も、どちらもおらんので当然である。

シンプルに、誰とも対立しなくて良い、誰にも身構えなくて良い、誰にも怯えなくて良い、という心の状態は、すごく救われた状態だと思う。

誰もいないんだからそんなに気を張らなくて良いんだ、という、とてもシンプルな安穏を推測するだけでもこれだけホッとするのだから、実際に無我を悟った場合どれほどホッとするのだろうかと検討もつかない。悟りを開こう、というと崇高な感じになってしまうのでちょっと違うのだが、人間として生きている間に「心底ホッとする」という状況をちゃんと自分の心につくってあげることは、自分にとってとても切実なことだと思ったわけである。

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お得意の仏教デッキを開いた割には要領を得ない内容になったものである。
寝るのである。皆しあわせでありますように。悩み苦しみが、なくなりますように。