日記:コキアも赤くなりにけり?

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10/5月曜に最後の荷物を送り、神戸個展までの束の間の休み…というほどの余裕はないのだが、とりあえず一息ついているところである。いつの間にか日も短くなり、庭のコキアもすっかり紅葉を始めていたのであった。

ちいさなものから順に赤くなっていくのだろうか?

なにかといえば庭のコキアの話ばっかりになってしまっている近頃の日記なので、9月中のハイライトではないが忙しくて書けなかった分を雑に書き下そうと思う。

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コーラスライン。劇団四季である。

釧路に劇団四季の公演がやってきた。去る今年2月のコミティア出張の際に東京で同じくライオン・キングを見たので、今年は運良く年2回ほど劇団四季の美声に浴する機会を得たのであった。

良かった。あらすじで言うと、踊りながら歌う「コーラスライン」のメンバー団員のオーディションに集った様々な人間の悲喜こもごもな群像劇?である。集まったこの中で誰が仕事を得、誰が落ち、誰が人知れず現役から退いていくのか。そんなサスペンスの中でひとりひとりの生い立ちや半生に触れ、それぞれに感情移入が進んだところでついに合否が発表される…という流れである。

第一オーディションに通った20名ほどの男女の自己紹介パート、掘り下げのパートが一人ひとり入るのである。勿論ミュージカルなので歌ったり踊ったりして間を持たせるのだが、個人的には中盤ちょいまでちょっとダレてしまったし、少し寝てしまった。「この自己紹介の感じがあとこの人数分続くのか…」と予期してしまう分の退屈であり、構成上ちょっと仕方ない気がする。

しかし、この自己紹介的な掘り下げがなければ後半~ラストのカタルシスは語れない。そういう意味で、この「コーラスライン」はわたしが思っていたより随分と挑戦的な構成なのではないかと思った。舞台・場面自体もほとんどオーディション会場から動かない。ステージ上の道具というかセットは背後にある大きな鏡がクルクル場面に合わせて回転するのみである。それでも、最後まで観れば納得の名作という、じ~んとくるアレがあるのである。

恐らくだが、団員の顔がよく見えるS席相当の位置で鑑賞するのがほんとうに良いのだろう。今回は両親と3人で思いつきで見に行ったので残っていたB席の最後尾、ほんとうにホールの末端から眺めていたから顔など全くわからなかったのが退屈の原因だったかもしれない。それでも、まあまあいい値段はしたのであるが。2回目以降の鑑賞のほうが味がするタイプの劇かもしれないともおもった。人、覚えられないし…

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うわーーーーっ!!!

いつぞやの風の強い日に斜めってしまったコキアも見ておこう。かわいいね。(なおしました)

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でかひまわり。2mはある。

庭に植えた向日葵は20本ほどあり、うち10本がわたしの身の丈も超えて高々と成長し、ひと夏の景観を庭にもたらしてくれた。撮影しようとするとどうしても近隣の住宅が映るので全体の画像をあげられなかったのだが、同じく強風にあおられ根っこからおっ倒れている1本と遭遇した。

残念ながら種が十分に実るよりちょっと早く倒れてしまったので、鳥もついばみに来ないままいまでも庭に打ち倒されたままでいる。まあ、そんなこともあるだろう(適当)。

根っこは意外と短く放射状?に伸びていた。

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この間のポケスリのミュウツーイベでは、初のワカクサEXでのマスター20を達成した。素直に喜べばよいとは思うのだが、最後の20万エナジーを稼ぐために4,5回ほどホイッスル(ほぼ課金アイテム)を吹いてしまった。いままで笛に頼らずマスター20を他フィールドで達成してきたことを思うとちょっと悔しい。が、今回ほどのエナジーの盛り方はしばらくできないだろうと思ったため強硬手段に出たのである。基本的には微課金勢を名乗っていたいのであまり常用はできないし、「いざとなれば金でなんとかする」をやってしまうとクセになる気がしているので怖いものである。まあ、いくつかミュウツーパックを買ってしまっているのでもう遅いのかもしれないが…

銀種3つ、金種5つを投入してしまった。すっからかんである。

厳選は5匹程度だったが、一応それっぽい個体を引けたので満足である。遠い道のりだが、レベル70を楽しみにしていこう。

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びくどんのポテト。

実は母も陶芸のイベントを10月の3連休に控えており、我が家はまんべんなく皆忙しそうにして過ごしている。くたびれたときはレトルトカレーで済ませたり、びっくりドンキーで労をねぎらったりしながら過ごしている。それぞれ忙しいが、それぞれやることがあってよかったなと思うものである。

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さあ、眠ろう。飛行機での出立は金曜朝8:55である。今のうちに早起きに少しでも慣れておかねばなるまい。そろそろ目覚ましの鳴る時間も変えておこうか。

眠る。おやすみである。

でかすぎてまだ紅葉に時間がかかっている親分コキア先輩。

日記:もきゅもきゅ?

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夏合宿中に勇んで描いていたパネルがB2だと思いきや550×880とかいうちょい大きいなにかだった。amazonで2200円の安価な額縁を買ったあとで判明したことである。個展まであと2週間というタイミングでの発覚である。

このサイズのスチレンボード厚さ3mmをオーダーメイドすると納期がギリギリどころかはみ出るうえにだいたい1万以上したりして軒並み高い。気合のお手製でDIYをしようかというところで目下検討を加速しているところである。

とにかく個展の準備で大あらわである…というといかにも忙しそうだが、シルバーウィーク中にはリスナーと一緒にポケモン映画3本立て(ダイパ)を決めるなど余裕もかましている。しかしやることは山積みである。やることが山積みでも息抜きをパスしないというのが今年ひっそりと立てた誓いでもある。

ほんとうに「やるべきことだけ」で埋め尽くされた日常は苦しいものである。日常をべきで埋めるとやはり神経が参ってくるものである。なんというかこう、ピリピリしてくるのである。コレはよくないと思い、忙しい中でも身の振り方を少しずつ改善しているところである。

あとここ1週間でやることをリストアップすると、こんなかんじ。
・豆色紙あと10枚くらいと中色紙3枚、大色紙なんとか1枚
・小さい額絵あとすこし欲しい
・持って行くグッズや本の数などリストで整理
・値段シール貼り
・全部済んだら大きな額絵など中心に送れるものを梱包、テントセン神戸さんへ発送
これらを10/2までに済ませ、どうしても間に合わないものや比較的細かいものについては10/5を最終ラインにして改めて発送させてもらう手筈になっている。

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色々作っている。恐らくみんなが思うより1.5回りくらい余計になにかを作っている気がする。ほんとうにそんなに色々用意する必要あるのか?根を詰め過ぎではないか?と思わなくもないが、「これはやっておこう」と思ったものがやる気次第でどうやら間に合うと判明してしまうとやらないとスッキリしない。そんなこんなで、色紙と額絵”以外の”準備が一応それなりに済んで、あとは事務的に整理したり現地でのレイアウトを確認する作業でほぼ1週間を過ごすことになる。額絵についてはまあ、1日描ける分が物理的に決まっているようなものなので、できた分を送ると腹を決めている。

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画像
紅葉を待つ。

と、ここまで日記を書いたところで足りないB2の額のことをハッと思い出してしまった。やれやれどうしたものか。ほんとうに工作などしている時間があるだろうか?当日ライペで使う分のパネルについては未購入だったため、サイズを今度こそ間違えないように慎重に買う。まだ絵を描いていないので、ジョイフルAKにもしB3スチレンボードがなかった場合でもいまあるデカいパネルの在庫をぶった切ればいい。どうせなら買ったほうがきれいだとおもうけど。

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眠る。生活リズム的にはここ3週間というか大阪から帰ってきてからは夜2:30に寝て朝10:30以降に起きるような暮らしをずっとしてしまっている。なんだかもう、そのくらい遅くまでならないと寝付けないのである。個展当日までにはなんとかしたいところだが、夜寝る前にスプラをやらないというくらいしか対策は思いつかない。

眠る。「こんな準備をしているよ!」という動画やらなんやらを作れたらいいなとおもっているが、そのためのグッズ類のラインナップの現物がまだ手元にそろっていないため難しい。収録だけしておいて、最後の1週間神戸にいく手前でできたら御の字だろうか。なんだか色々なことが後手後手に回っているが、物理的に仕方がないのだから仕方がないのである。できる範囲で頑張ろうではないかと思う。

眠る。おやすみである。

仏教の性格6タイプ診断⑤:「痴性」について

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仏教における性格分析の5つめ、今回は「痴性(ちしょう)」を紹介してみます。前回の「尋性」はこちら

※事前注釈
 ・仏教では6つの性格があると説明されるが、それぞれの優劣や上下関係があるわけではありません。
 ・ひとの性格を正確に言い当てることは本来むずかしいことです。あくまで気楽に参考程度にご覧いただければと思います。
 ・「ブッダの実線心理学 アビダンマ講義シリーズ第七巻 瞑想と悟りの分析①(サマタ瞑想編)」をメインの参考書籍として、松村個人の理解をだいぶからめつつ紹介する記事です。

画像
就寝するケツおとこ。

◆痴性は「なまけもの」?

痴性の場合は「集中力がない、物事に関心がいかない」というような説明がなされます。貪性のように物事を積極的に喜んで受け入れようとはしませんが、瞋性のように「なんだこれは!」という怒りをあらわにすることもあまりありません。どちらかというと無関心というか「どうでもいい」という態度が中心になるそうです。

痴性の基本的な性格は「判断できない、集中することができない」と説明されています。自分でなにか店を開いて、お客さんがたくさん来るような工夫をあれこれ凝らすのは苦手です。流れ作業のような仕事であればこなせますが、あれこれ現場で判断を迫られるような仕事は不向きだそうです。

表面的には穏やかなひとに見えるので、まわりからは落ち着いていてのんびりしているひとに見えるのではないかと思います。仕事ができるわけじゃないけどやさしい先輩、というかんじ。良くも悪くも、あまりガツガツしていないのだとおもいます。「ああ、あのアイドルのコンサートに行かなきゃ❢❢❢」みたいな働きが人より少ないかもしれません。

◆数学が苦手で美術が好き?

勉強で言えば、たとえば「数学はできない訳では無いが好きではない。美術は好きになる。漢字の書き取りは得意だが作文は苦手。歴史や地理などの暗記科目は得意」という説明があります。私自身もこれはすごく身に覚えがあるので親近感が湧きます。

(自分で決断するのが苦手、という点を見ると信性と痴性は似ているように見えます。信性であれば「ああ、ありがたい、ありがたい」と思って先生を信じてせっせとこなしそうですが、痴性の場合はたぶん「ふーん」という感じで取り組むのではないだろうかとおもいます。)

ところで、痴性だから頭が悪い、なまけものだとすぐに決めつけることは出来ないと思います。あくまで心のはたらきかたの傾向であると理解すべきであって、他人を決めつけることがないように注意しなければなりません。

◆痴性の「怒り方」?

痴性のひとにも煩悩があり、怒りがあります。痴性のひとが怒る時は、突然のできごとの情報量でパンクして処理できなくなって爆発してしまう、ヒステリー的な状態であると説明があります。突然のハプニングには弱いということです。こういうとき、やはり周囲の人間や上司がしっかりしていれば助けてあげられます。

「痴性で判断力がないからひととしてダメだ」というように決めつけることもまた難しいと思います。世の中が怒りと欲でどれだけとんでもないことになっているのか、数え切れないほどです。「なんだそんなこと、どうだっていいんじゃないか」と放っておけるひとの人徳というものもまた世の中にあります。ひとの性格がそれぞれあり、それぞれの場面で良い結果を出したり悪い結果になったりするということなのです。貪性や瞋性がよくて痴性がだめ、などと性格の良し悪しを決めることはできないのです。社会で生きることに疲れたとき、欲とも怒りとも離れた人と話してホッと一息ついて助かったということは世の中にいくらでもあるのではないでしょうか。

◆どんな職業が向いているのか?

基本的には「今日はこれをやってください」とマメに指示してもらえるような職場か、流れ作業的に働ける環境、あるいは絵描きなどの「決まったカタチじゃなくていい」という分野がいいかんじなような気がします。彼らに一度にたくさんの仕事を投げると混乱してしまうと思います。

自力でなにか判断するというアクションが苦手である以上、誰かに雇ってもらったり助けてもらいながら生きていくことが選択肢としてまず上がりそうではあります。が、ひとの生き方は様々です。痴性に入るひとであっても堂々と独立して生きている人はいらっしゃるはずです。「痴性だから独立は無理」といきなり言うことは出来ないと思います。が、工夫が必要な以上、誰かに習ったり仕組みそのものを教えてもらったりするような機会は必要だろうと思います。誰でも若い頃は上司や先輩に色々教えてもらって大人になりますが、そうした度合いの必要具合の強弱などはあると思ます。

生き方に工夫が必要なのはどの性格の人間でも同じことです。

◆どんな創作が向いている?

漫画の場合、おそらく複雑なコマ割りや伏線回収などのあるような、変数の多い作業は本人のキャパシティを超えてくる気がします。それよりは、たとえば4コマであるとか、2,3ページで終わるような簡単なお話にするとか、あるいはお話の構造を完全に決めておいてもよいかもしれません。変数を減らして「これにだけ集中してくれればいいよ」とがんばりどころを絞ることでうまくいきそうです。一度に多くのことを処理しようとしないことです。シングルタスクに分解すべきでしょう。

あるいは「完全になんでもありだよ」ということにして、心を自由にしてあげてもよいかもしれません。きっちりしていなくていい、いわゆる上手な絵や、きれいな伏線回収やものすごい精密な描写はしなくていいんだよ、という自由なところを用意して、やっとホッとする可能性があります。心を自由にさせておいて、4コマのようにフレームだけ決めておけば本人が安心してのびのび遊び始めるのではないかと思います。混乱を避けるため、ここからここまでというフレームは必要だと思います。

つまり、どこかで流れ作業的なものにしておいて、なにか本人が思いついたら好きにさせておく。ややこしそうだったらまたいつものところに戻ってきてもらう。「判断力」が問われるセクションをなるべく省いてあげることで本人の心が自由になります。たぶん。

痴性の話題で、どなたか著名人で例があるかな?と一瞬思い出してみたのですが、おそらくジミー大西さんあたりはそうでないかなとこれまた勝手に推測します(勝手です!)。さんまさんの運転手をしていた時代に叩き込まれた一発ギャグを振られたときは即座にサッと反応したり、美術的な方面で結果を出したり、ちょっと勉強が苦手なところがあったりなど色々なエピソードがwikipediaで確認できます。さんまさんという信じて構わない上司と出会って芸を仕込まれたことで芸人として一本柱が入り、そこから本人の天然キャラなどもあって愛されていったという流れではないかと思います。年末の「ガキ使」に出てきたときはわたしも爆笑せざるを得ませんでした。

あとこれは細かい絵の話ですが、おそらく痴性のひとはきっちりした直線を引くのは苦手なんじゃないかなという気がします(偏見です)。集中力が続かない分、たぶん途中でどうしてもフニャッとしてしまうのだと思います。文字を書かせるとところどころ間違いがあったり、字全体に力が入っていないかんじだったりする気がします(偏見です)。

◆誰だって助けてもらって生きている

今回も色々書いてはいますが、わたしたちの性格が違うというのは、社会の中での役割が違うということです。誰もがお互いの性格に助けられて生きています。相手の能力の欠けているところを見つけたとき、それをあげつらったり見下したりするのではなく、お互いが得意な部分を補い合って思いやりを持って生きるべきです。

ここまで5つの性格を紹介してきました。次回は最後に「覚性(かくしょう)」を紹介します。そのうち書きます。ほな、また。

日記:絵に描いたような日曜日❢

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10時にかけた目覚ましをさらにシカトして11時に起床した。ここ数日の睡眠負債を返済するかのような眠りこけっぷりである。イベント前後は神経が高ぶるためか、寝付きが悪かったりして6時間程度も眠れていないことが多かったのである。

11時。朝と昼の中間のカレーを食べたあとは、母の買い物やらなんやらに付き合ってポスフールに出かけたり甥に誕生日プレゼントを渡しに行ったり、季節限定のココナッツクリームおやきを3人分買って父の事務所へ突撃しコーヒーと一緒にいただいたり、庭の水やりをしてひまわりとコキアの驚くほどの成長ぶりに目を細めたり、ガレージのウッドデッキに座って半分弱だけ仕上がってきた庭の景色をただ眺めたりして夕方まで過ごした。

いやほんと、ひまわりはとうに私の身長を超え見事な花弁を見せつけており、コキアに至ってはソフトバレーボールより2まわりほど大きくなっている。ここまで来るとアホみたいなサイズである。大きすぎて周囲の景色を入れないように撮影するのが困難なため、そろそろここにすら上げられなくなってきた。そのうちむりやりズームででも撮っておこうとは思うのだが。

さてなんと言えばいいのか、今日1日はとても気持ちが安らいでいた。こんなに安らいだ気分の1日はいつぶりだろう…というと大袈裟だが、久しぶりに日曜日というものを心から満喫したような気がした。仕事は一切していないが、だからこそというか、ただ穏やかな日であった。

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しかし、心の安らぎが「減ったな」と感じる瞬間が1つだけあった。
そう、Twitterを眺めている時間である。1日を振り返ると、ふとスマホでTwitterを見ているときだけ心の幸福度が下がったのを、はっきり実感したのである。あのありがたい安らぎが減ってしまったのである。

これには理由がある。人間の言葉にはどうしても感情が乗っかるためである。

インターネット空間、とりわけTwitter(X)のようなSNSでは人々の言葉が縦横無尽に飛び交っている。さて言葉とはなんだろうか。大抵の場合、わたしたち人間の言葉には感情が乗っかっている。冷静で、なんの抑揚もないフラットな口調で話していたとしてもそれは表面的なことであって、どんな人間でも大抵はなにか感情と一緒に言葉を吐き出すものである。そしてTwitterは、そうした数多の人間の感情が言葉と一緒に”るつぼ”となって蠢いている場所である。いち人間にとって本来、そこは安らぎとは程とおいところではなかっただろうか?

◆

わたしたちは現状、こうした「感情の乗った言葉」と接することにあまりに無防備すぎると正直思う。知らず知らずのうちに受けているストレスは半端ではないと思う。私にしてもそうである。「暇だな」と思ったらやっぱりTwitterを見てしまう。そして眺める度に、それまであった心の安らぎや落ち着きのようなものをスポイルしてしまうのである。よせばいいのに見てしまう。そういう、勿体ない、自制の効かないことばかり毎日毎日やっているのである。

◆

さて、インターネットで気をつけるべきことの第一は言葉であると私は思う。「若者たちは本を読まない」という言説があり、「いやいや、SNSやLINEでむしろたくさんの言葉に触れているんだよ」と肯定的に見る言説もまたある。そこでわたしが言いたいのは、若者だろうと大人だろうと、感情的で制御されていない言葉の海に、心身の準備なく日常的に飛び込むことはもともと危険ではないかということである(ネット規制の話ではない)。

「そこに書いているのはただの文字である」というくらいの開き直りがなければ、耐性のないひとは、次々流れてくる世界情勢やらなんやらのニュースにすぐ心を摩耗してしまう。さらにそれを朝から見てしまったのであれば1日安らぐどころではないに決まっているのである。それでもわたしたちは朝からTwitterを見てしまうわけである。多くの人間にとって、ネットを眺める時間の長さとタイミングは再考の余地があると私は今日1日の出来事で強く感じた。わたしたちは、苦しみにさえ執着してしまうものである。

それを見る1日のタイミングや目的、利用時間についてそろそろちゃんと考えねばならないと今日ついに思ったわけである。仕事のこともあるが、ここ数年でTwitterをぼけーっと眺めている時間は私も随分増えてしまったという反省がある。体感的に、Twitterをいじらなかった日のほうが幸福度というか安らぎ度は高いと感じているのであるから、やはりもっと意図的に制御しなければなるまいと思った1日なのであった。

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眠る。自分としてはYouTubeとTwitterを根城にしているところもあり、結局言葉を使って人とコミュニケーションしている。人間は言葉を使う。それは仕方ない。であれば、どうせならよい感情を言葉に乗せることが1つ肝要なことと思う。たくさんのひとが聞くのであればなおさらである。たとえ表面的にガサツな言葉であっても、理性とおもいやりが乗っかっていれば心地よいコミュニケーションがそこにあるはずである。私のコンテンツがひとさまにとって「ああよかった」という類のものであってほしいと切に願いながら、今日の日記を終わろうと思う。

眠る。おやすみである。

日記:子供の頃の情熱を思い出すこと等について。

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3ヶ月ぶりのリアルイベントが近づいてきた。どういうわけかいつになくそわそわと落ち着かないので少し記事を書いてから寝ようと思う。
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昨日の記事で「13年でひとはどう変わるのか」という雑な話をしてしまった。なんだか雑すぎた気がするので、もうちょっと話をしておきたい。

◆自分がなにをやりたいのか自覚できるようになった
 大学時代の私は「なんか社会出たくないな」という漠然とした気持ちがあるくらいのうすぼんやりとした人間だった。絵は好きだったがそれは筋肉ムキムキのアンパンマンを描くのが好きという程度のことであり、がっつりと漫画を描くようなことは結局ほとんどなかったのである。絵の技法書は図書館で借りて練習していたが、その程度であった。

 大学を卒業し親父の会社に勤めながら絵や漫画をやるにつれて、自分がどんな漫画や絵に惹かれて生きてきたのかを少しずつ思い出していった。それが2013~2018年の期間にやった「ほんとうのしごと」だったのかもしれない。実家でゴロゴロ寝転がりながら「ロトの紋章」を読み返している程度のことといえばそうなのだが、自分が何をしたいのか、どんな表現に心惹かれたのかとていねいに再発見する過程そのものが創作の出発点であり目的地だと今では思う。

「紙とペンと黒インクだけで地平線の彼方どころか異世界まで旅することができるのだ」と気づいたときの興奮は小学5年生頃の記憶である。「ロトの紋章」の11巻あたりを読んでいた頃だろうか。そうか、俺もこれを描いていいのか!と急に選択肢が目の前に現れたのである。結局画材屋で買ってきたつけペンとトーンが難しすぎて2秒で挫折したりしたのだが、時間をかけて、あの頃の興奮をゆっくり思い出す必要があった。それが本当の意味で思い出せたのが2018年頃、わたしが「ニコの旅」の最初の1冊を描いたときのことであった。子供の頃の情熱を思い出すまでにかかる時間はひとそれぞれである。

わたしのはじめてのバンドデシネ。




◆できることとできないことを自覚するようになった
 2013年春から働き始め、仕事のスキマ時間などでネットを徘徊して好みの絵柄や「これなら真似できそうだな」みたいなものを探しながら真似する日々が2,3年ほど続いた。そこからさらにその次の3年で、自分の描けるやり方・描けないやり方があると身にしみてくるわけである。

何度かリスナーには話したことだが、最初は「BLEACH」みたいなオサレな絵柄の漫画を描いてみたかったしそういうキャラを描いてみたかった。が、どうもピンとこない。どんなに一生懸命描いてもピンとこなかった。一方、「リボンナポリン」のラベルの女の子をパッと真似して描いたら、何気ないのだがピンとは来たのである。同じ理由で、あだち充先生のキャラの目や顔立ちなんかも真似してみると、これはまたピンときた。結局、ピンと来る方向で絵を組み立てていったほうがよさそうだという結論になりいまのような「めんこい」かんじの絵の方向性が定まっていった。

 できないことを「できない」と認めることは勇気がいる。と同時に、できることをやるというのは思った以上に地味な出来事である。「できない、できない」と言いながら同じ壁に当たり続けるよりも、できることを地味に毎日続けることのほうが時として困難である。だがそれができたとき本人に合ったほんとうの作風、らしさというものがついてくる。才能というのは本来地味なものだと思う。

つまり私の場合、「いつかジャンプで連載するようなオサレな少年漫画家に」というふんわり漠然とした夢を一度ちゃんと諦める必要があった。それができたところで具体的な次の進路が立ち上がってきたわけである。諦めることはネガティブなことと思われがちだが、実のところ、自分のまだ自覚していないキラキラしたあたらしい選択肢と出会うことと同じである。

◆物語の構造を守りながら漫画を1話描きれるようになった
 「物語の構造」の本については大学時代に主に大塚英志先生の本をいくつか読んで勉強していたが、大学時代にお話を作ろうとしてもどうもうまくいかなかったものである。

 どんなに短く拙くても、「お話を1話描き切る」という経験は何度でも重ねたほうがいい。”「物語る」という能力は後天的に身につけることができる”というのが、物語の構造やストーリーテリング・脚本術を学ぶとてもポジティブな理由であるし、わたしもそうした言説を信じて色々やってみていたわけである。が、「身についた」と言えるような状況になるまでどう少なく見積もっても6、7年はかかった。7年間みっちり漫画を描いていたわけではない。が、途切れながらでも拙い漫画を数話描いて年月を過ごした。「これ何の話なんだろうな」と首をかしげることばかりだったが、あるとき「あっ」となるのである。ちゃんと物語を始めて、たしかに終わらせた(オチをつけた)というあの手応えと出会う。いままで構造をなでるだけだったものが、ちゃんと「お話」になる瞬間がある。これは、とにかくある。あるとしかいえない。

個人的には、漫画のお話を考える・物語るという訓練はちゃんと脚本術の本などを読んで基礎を勉強したほうが多くのひとにとって予後が良いと思っている。私自身が後天的にそれらを身に着けた人間だからである。

が、その上で「構造をなぞるだけだとなんかサラッとして終わっちゃうだけだよ」ということも言いたいわけである。仏作って魂入れずとはいうが、多くの人間は、まずはハリボテの仏を作れるようになるのが先だと思う。

とりあえず無闇にsave the catの法則と ストーリーメーカーあたりをオススメしておく。物語の構造やそれらを整理する方法については、そろそろHPにポコポコ描いていきたい。

名著。

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少しは具体的な話をしたつもりになったので気が済んだ。1つ最後に言いたいのは、人生の情熱を見失ったときや創作的な目標を見失ったとき、小学3~5年生頃に夢中になって気になって仕方なかったものを思い出すことはとても重要だということである。たしか富野由悠季先生もそんな主旨のことをどこかで言っていた気がする(ソースが欲しい!!私が見たのはtwitterの富野由悠季名言bot)。
私自身の身の振り方や創作のありかたを見ると「ああ、そのとおりだった」と思わざるを得ない。「ロトの紋章」を単行本で遅ればせながら追いかけていたあの頃の興奮と言うか憧れと言うか、ほんとうに焦がれていたのである。とにかくああしたファンタジー世界について胸がいっぱいだったあの頃の情熱である。あの気持を思い出すにつけ、わたしは何度でもあの気持に帰らねばならないと思いを新たにするものである。まあ、それでもよく忘れちゃうんだけど。

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気が済むまで言葉を吐き出してから寝ようと思ったら日付が変わってしまった。明日はいよいよ大阪イベに向けて出発する日である。イベント前日に会場のギャラリー「久遠 南堀江店」さんにお邪魔して配信のセッティングをする感じであり、明後日はいよいよ本番である。551の肉まんを食べたりなどして、頑張りたい。

眠る!おやすみである。

日記:13年で人はどう変わるのか

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親父がスマホから古の写真を発掘してきたので振り返ってみる。
時は2013年、私が大学を卒業する3月前後と思われる写真と、つい今日髪を切った私の写真の比較である。

2013年のわたしが短髪なのは、なぜか床屋で坊主にすることがマイブームだった当時の名残である。
髪を洗うのがとにかく楽だった。

意味がわからないくらい別人になっていること以上に、13年前の自分が今の36歳の自分より明らかに老けて見えることの驚きが勝る。当然写真の撮影環境が何もかも違うので印象が違うのは当然なのだが、どちらも撮影時のわたしの精神性をそれなりに反映しているとは思う。たしか体重は8kgくらい差があるはず(65kg←→57kgくらい。たぶん。)

思えば大学卒業時点のわたしは年齢は若くとも精神的に「老けて」いた気がする。今と比べてという話になるが、やりたいこともはっきりせず、大学の勉強にはついていけず、ただ失意のうちに卒業証書だけを握りしめておめおめと実家に帰ってきたわたしは、将来についてキラキラとなにか考える余裕を全く有していなかったのである。自分の技術を磨いたり真剣にやりたいことを探したり、せめてまともに就活するなどすればよかったのだろうが、そうしたことがどれもこれも中途半端以下でどうしようもなかったくらいには「老けて」いたわけである。

13年で何が変わったか。表面的には2つである。自分の絵の才能を自分で発掘することができたという一連の成功体験と、自分の1日の過ごし方を(一応)自分でデザインできている今現在の生活リズムである。振り返ってみると、わたしのなかでもっとも大きかった願望の1つは「貧乏で情けなくても構わないから、1日をぜんぶ自分の好きなように過ごしたい」というものであった。地位や名誉というより、生きている1日がちゃんと自分のものになってほしかったのであり、そのための手段が一連の絵の活動ということだったと理解している。

では内面的には何が変わっただろうか。一言で言えば自信である。「わたしはこれができます」と胸を張って言える状況そのものが私の目に少しずつではあるが光をもたらした。そうこうしているうちに不特定多数の人間に自分の顔を見られることへの抵抗感さえもいつからかすっかりなくなってしまい、リスナー各位からめんこいめんこいと言われてその気になっている始末である。自分の内側から出てくる自信もあるし、ひとさまからいただいた自信もたくさんある。
(他人に見られている自分について意識することが増えたので自撮りの取り方がうまくなっただけなのかもしれない気がしてきた。)

つまり、結局は自分への信頼感と自信がそのまま精神的な「若さ」ということなのではないだろうか。13年前の自分と今の自分の一番の違いは自信である。

では自信をもたらしたものはなんだろうか。これは端的に技術だとわたしは思う。「わたしはこれができます」と一言ぽつりと言える状況が、ひとに自信をもたらす。ほんとうに何もなかったあのときから13年たった今、やっぱりわたしはそう振り返る。勿論不安が完全になくなったわけではないのだが、自分ならきっといつかすべてを乗り越えるだろうという信頼感のようなものもまたあるわけである。自分で選んだ道だから、という納得感もある。

そんな訳なので、将来に悩む若者には「1つでいいからなにか技を身につけなさい」と言うことにしている。資格でも技術でも芸でもいいので、「これはできます」というものが1つあれば人生に背骨が入る。やりたいことが複数あっても構わない。どうせ人間には216本くらいホネがあるはずなので、多いなら多いで別に構わないのではないだろうか。そのうち適当な立体になって、どこかには転がっていけるだろう。

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眠る。わかったようなことを書いてはいるが、イベントがあればそのための準備に追われることは変わりない。今日は週末の大阪イベのための準備や服の買い出し、なぜかここ数日ちょっとつづいたBOOTHの注文の自宅発送分を出してしまったりなど雑務がメインだった。細かい荷造りは明日完了させ、ついに明後日金曜にはおよそ10ヶ月ぶりの関西入である。ちなみに前回は去年10月にニンテンドーミュージアムに遊びに行ったのがラスト関西であった。はずである。

眠ろう。おやすみである。ああそういえば、今日届いた日傘とオーバーオールはだいぶいい感じだった。真夏の大阪でも恐らく問題なく着れることだろう。。。たぶん。

日記:束の間の夏休み、大阪イベが近い❢

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夏合宿が終わってからのここ1週間ちょいはなんだかとても長く感じた。あっという間という気持ちもあるのだが、束の間の夏休みを色々やって満喫した感じもあり充実はしていた…が、dripのライペイベも近いため、さすがにのそのそと色々な準備を始めているわけである。隙を見てポケモンの初代の映画「ミュウツーの逆襲」をやっと始めからちゃんと同時視聴したりもした。なかなかに重たい映画であるが、なんだかじーんとするものである。

日傘。https://amzn.to/4xf7CC8

とりあえず日曜日に日傘と、ちょっと夏でも軽めに着れそうな素材のオーバーオールを買ってみた。明日届く予定である。オーバーオールに関しては一応2,3着ほど持っているのだが、どれもデニムっぽいかんじで夏場に着るにはずっしりと重い。夏でもいけそうなかんじのものをそろそろ1つ用意しようという感じであった。ただまあ、ネットで服を買うのはむずかしい。素材の表記とかは一応オールシーズンとか春夏とか書いてあるが、果たして実際の着心地やいかに。続報を待て❢

買ってみたやつ。一応綿100%でオールシーズンだけど、果たして…

あとは配信の枠を事前に取っておいたり、ライペで使う画材をチェックしたり最低限のことはしておき、残るは配信機材の整理と自分の荷造りである。慌てて買わないといけないものはなかったはずなので、忘れ物をしないように1つ1つチェックしていくのみであーる。

日記はサボりがちだったが、合宿の疲労を取りつつ夏休みを満喫しつつ、直近のイベントの準備もしつつ、個展の準備もうっすらしつつ。。。ということで、地味に器用な1週間ちょいを過ごした気がする。5月のデザインフェスタが終わってから地味~に進めていた、個展のための「あること」があるのだが…それの公式発表は、9月中旬前ごろを予定している。ふふ。

こちらはそれと関係なく、束の間の夏休みを利用して作ったやっとまちゅむらローポリアバター。
(ワールドはひとさまのいいかんじの夏のところ)

個人的にはblenderで色々小物を作って3Dプリンターでポコポコ量産できたらイベントに持っていく新アイテムとしていいなと思っていたりするので、頭の片隅で3Dプリンタの導入を検討している。まあ、それは別の話。来年の5月のデザフェスあたりに何か出せたらとても興奮するが、果たして。

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ローポリおふとん。

寝るぞ❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢

明日は床屋である。うっかりお袋の歯医者の時間と微妙に被ってしまい、家の車を誰が使うかということになり結局母がバスで歯医者に行くことになってしまった。私が早起きできれば車で送れたのだが、8:30に家出るのは最近の起床時間的にキツイのである。。。すまないお袋。。。。

寝る❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢お休み❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢

仏教の性格6タイプ診断④:「尋性」について

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仏教における性格分析の4つめ、今回は「尋性(じんしょう)」を紹介してみます。前回の「瞋性」はこちら

※事前注釈
 ・仏教では6つの性格があると説明されるが、それぞれの優劣や上下関係があるわけではありません。
 ・ひとの性格を正確に言い当てることは本来むずかしいことです。あくまで気楽に参考程度にご覧いただければと思います。
 ・「ブッダの実線心理学 アビダンマ講義シリーズ第七巻 瞑想と悟りの分析①(サマタ瞑想編)」をメインの参考書籍として、松村個人の理解をだいぶからめつつ紹介する記事です。

うちのキャラの古賀ちょん。(ナックル・ビッグシルエットより)

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◆尋性は「議論好き」?

尋性は「頭の中でずっと議論をしている」ような性格だと言われています。議論が好き。結論に達することが目的というよりは、議論している状態やその過程そのものを楽しんだり検証したりするのが好きな性格だそうです。

表面的には物静かだったり、あまり顔に表情が出ないかもしれませんが、何も考えていないわけではなく、頭の中がいつでも言葉で一杯なので言葉としてなかなかまとまって出てこないということみたいです。

◆尋性は疑い深い?

尋性の人は「ああではないか、こうではないか」と検証が止みません。学者っぽい性格といえばそうかもしれません。いつでも何かを「疑っているような」状態ではないかと個人的に思います。とてもよい結論に達しても「いやまてよ」と、どこかで思っているのです。安易に結論したくないのでしょう。そのうち、「疑っている自分さえも疑ってしまう」ようなところまで行ったりして、なかなか帰って来なかったりすることもありそうです。

個人的に一番対照的だと思うのは信性です。信性は簡単に人を信じてしまいます。尋性の人は反対に、人のことを信じ切るということがあまりないように思います。相手を完全に信じ切ってすべてを任せっきりにする…という態度は苦手かもしれません。人間関係において一定の「保留」みたいな部分がかならずあるし、恐らく消せないのだと思います。

◆何にも捕まりたくない性格?

有名人で一人パッとおもいつくのはひろゆきさんです。本人が何にも捕まりたくない。のらりくらりしている。だれかと議論や討論するときも、「この場合は?あの場合は?」と、時にはどうでもいい例まで持ってきて議論そのものが収束しないような感じになっていたりします。結論を出すのではなく、うだうだと議論している状態が一番ウキウキするのではないかと思います。瞋性(怒り型)のひとが相手に勝つ・勝負の目的で議論を仕掛けても、尋性のひとはひらりひらりと議論を交わして煙に撒いてしまいます。真面目にやっているのかと腹を立てたくなるかもしれませんが、本人は至って真面目です。

総じて、結論を出したくない、自由でいたい、何にも捕まりたくない、というのが尋性のひとの基本的な気持ちではないかな、と推測します。

◆どんな職業に向いている?

これはどうなってる、あれはどうなってる、といった色々な検証や確認が必要な仕事は向いていると思います。知識能力があるなら学者としてしっかり結果を出すんじゃないかなと思います。恐らく数字を扱う職業も向いている気がします。事務的な仕事や、裏方としての職務に向いている気がしますし、本人もそのほうが落ち着くと思います。

表立ってリーダーシップを取る立場にさせる場合は注意が必要だと思います。おそらく、尋性の人はあまり目立ちたくないと思っているし、なんなら写真に映ることもあんまり好きじゃない可能性があります。尋性はなにはともあれ「捕まりたく」ないんじゃないかと思いますし、それは他人の視線であってもそうではないかと思います。無理に表舞台に引っ張り出すと本人が強いストレスで潰れる可能性があるため、人材を配置する際には注意したいところです。本人が望んでなる場合は、恐らくかなり強い決心のもとそれをやることと思います。

(一方で、「でもたまにははっちゃけちゃおうかな」みたいな茶目っ気もあったりして面白い人たちだったりしますが、たまにしかはっちゃけないので、目立ち慣れていない人間の独特の風味を帯びがちで、これも面白いです)

ちなみに、もうひとり「おそらく尋性ではないか?」という人物を挙げるとするならば、任天堂元社長の岩田聡さんが恐らくそうではないかなと思います。これといった根拠がはっきりあるわけではないのですが、岩田さんがHAL研究所や任天堂で社長を務めていたとき、「社員全員と納得行くまで面談する」という方法で社員とコミュニケーションを取っていたと書物などで伺いました。これは「お互いに”疑い”がなくなるまでしっかり話そうではないか」という態度だと思います。どんなに労力がかかっても、社員全員としっかり話して「これがこうなっている、これがこうなっている…」とていねいに整理していくことを選んだわけです。とても誠実な態度だと思います。色々な考えが頭に浮かんで、つい色んな議論や疑いを抱えてしまいがちな尋性的な面があったからこそ、自分や周囲の人間にも疑念が残らないように精一杯務めたのではないかと勝手に推測しています。

◆どんな創作が向いている?

恐らく「世界観」や「設定」をモリモリと深堀りしていくのは好きそうですが、とくにどんどん「自分だけがわかっている世界の設定」を全力でぶん回していくような感じになると一番馬力が出るんじゃないかなと思います。頭の中の議論をそのまま出してしまう。世界全体を使った「会議」でよろしい。

漫画家さんでいうと「映像研には手を出すな!」の大童澄瞳先生あたりは尋性っぽいような気がします。映画監督なら押井守監督、「攻殻機動隊」の原作の士郎正宗先生も尋性っぽい気がします。

共通しているのは、世界にものすごく「理屈」があるのですね。自分独自の世界の「理屈」を考えるのが好きですし、作品全体も理屈っぽかったり議論が絶えなかったりします。で、作品全体としての結論は出ないかも。議論している状態自体が目的だからです。

注意すべきなのは、自分の世界の設定みたいなものを、さらに自分の世界の用語で説明するみたいなことに陥りがちな気がします。学者が学者用語を素人にそのまま話して、まるで伝わっていないことに気づいていないような事態は多そうです。本人の「頭のなかの議論」をそのまま本当に作品にしてしまうと、周囲はそのままではついていけませんので工夫は必要です。

総じて、読む側にちょっと一定の気合が必要なものをつくりがちかもしれませんが、あくまで傾向の話です。「読者のお前らが気合を入れて読め!」と開き直るも良し、用語をていねいに紐解いたり、聞き慣れないワードでも状況やビジュアルで意味や意図が伝わるように工夫してもよし、わけがわからないまま読んでくれればよしともう一度開き直っても良し。本人なりの理屈や議論が爆発するようなものが出てこれば、周囲も困惑しながらも面白がってついてくるのではないでしょうか。自分の議論や理屈を描き切れる画力が伴えば、鬼に金棒。

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尋性については以上です。いつにもまして個人的な推測が多めですが、どういうわけか仲の良い友人や付き合いの古い知人などに尋性がそれなりにいたりして、「このひとたちって、こういうことなんじゃないかな」と感じる部分が割とあったため、ついでにまとめてみました。私が参考資料で読んだ本の記述は1ミリくらいしか残っていない気がするので、本当に参考の参考の参考程度に読んでいただければ幸いです。

残るは痴性と覚性です。どっちをラストにしようかな。ほな、また。

日記:ちいかわの映画を見た(ネタバレなし感想)

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お久しぶりの日記です。11日間の夏合宿+ま祭を終えて束の間のリフレッシュ期間に入ったので、早速ちいかわの映画を見に行きました。

よかった。とにかくよかったです。わたしはちいかわはあまりよく知らないままだったのですが、本当によく出来た物語だったと思います。1つ1つの展開について物語の構造がどうだといった感じで色々話したいようにも思いましたが、「いいものを見た」という反動がずっと心に残っておりついに日付が変わるまで日記を書き出せませんでしたので、とにかく「よかった」ということだけここに書いておいてから床に就こうと思いました。なにか書きたくなったらそのとき「ネタバレあり感想」として別で記事を書きたいと思います。

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映画を見終わった後、心に残った様々な印象に比例してパンフレットやグッズをつい買ってしまいます。今回はかなり買ってしまいました。個人的にセイレーンと島二郎は気に入っていたので、ちょうど記念メダルが残っており衝動的にGET。機会があれば期間中にもう一度見に来ようかと思うくらいには大変楽しかったのであります。

これは別の映画の話ですが「超かぐや姫!」の復活上映が釧路にも来るみたいでハッピー。劇場では見逃していたので、個展前の忙しそうな時期ですがこっそり覗いてやろうかと思ったりしています。がんばれわたくし。

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しばらく日記を書いていないうちに、庭のコキアもすっかり丸みを帯びてきました。秋にはきっときれいに紅葉したまんまるコキアさんになってくれることでしょう。サボっていた(というより、庭のガレージのことを隠すと書くことがなかった)日記もぼちぼち再開しようという意気込みも込めて。

では、おやすみなさい。

仏教の性格6タイプ診断③:「瞋性」について

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仏教における性格分析の3つめ、今回は「瞋性(じんしょう)」を紹介してみます。前回の「貪性」はこちら

※事前注釈
 ・仏教では6つの性格があると説明されるが、それぞれの優劣や上下関係があるわけではありません。
 ・ひとの性格を正確に言い当てることは本来むずかしいことです。あくまで気楽に参考程度にご覧いただければと思います。
 ・「ブッダの実線心理学 アビダンマ講義シリーズ第七巻 瞑想と悟りの分析①(サマタ瞑想編)」をメインの参考書籍として、松村個人の理解をだいぶからめつつ紹介する記事です。

◆瞋性は「怒り型」

瞋性は、物事に対して対立的なアプローチを取る性格です。仕事をするときもなんとなく怒りながらやるし、部屋を片付けたり模様替えするときも「もっとこれどうにかならんのか!?」という感じで家具を移動したりする感じです。とりあえずぜんぶタンスに詰め込んでハイ終わり❢みたいな掃除になるかも。貪性があえて物事の楽しい側面に惹かれてしまうように、瞋性は物事の欠点をついハイライトしてしまいがちです。

物事の欠点を見抜くのが素早く、基本的に判断はパッパと済ませます。信性のように判断能力自体があまり働かなかったり、優柔不断ということはそこまでなさそうです。判断自体が正しいか間違っているかは個々人の能力によりますが、とにかく判断は下すというわけです。

仕事をさせたり上司になるとビシバシ働いたり指示を出すのでリーダーシップがあるように見えます。反面、「あの人、能力はあるんだけどちょっとおっかないよね」などと思われたりしがちです。ズバズバとモノを言ったり色々なところに爆弾を投下していくところがあるのでどこかでだれかと対立しがちなのかもしれません。

ちなみに、瞋性であっても全然怒らないというひともいるはずです。あの人はいつも怒っているから瞋性だ、そうじゃないから瞋性じゃない、と簡単に判断しないほうが無難な気がします。あと、数字に強いイメージ。たぶん数学が得意なひとが多い気がする。
あと、瞋性じゃなくてもおこりんぼなひとはいます。怒りは誰にでもある煩悩です。そこは基本なのです。

◆例えばどんな人?

世のなかには、どうしてもなにかといつも戦っていないと生きている感じがしないというひとがいるのかもしれません。それなりの地位にいるのだからそのままふつうに生きておればいいのに、なぜか要らないトラブルを生んだり誰かにケンカを売ったりしてしまう。彼らはいつでも何かに挑んでいたいのではないかなと思います。

例として合っているかわかりませんが、芸人でYouTube大学もやっている中田敦彦さんあたりは瞋性が入っている気がします。元々の芸風も、既存の漫才やコントのあり方にどこかケンカを売るようなアプローチで有名になりましたし、「Perfect Human」に至っては一体どこがコントなのかという勢いですが、それで再ブレイクを果たしました。芸人でありながら早い段階でYouTubeに乗り出してみたりするのも、業界に対して挑戦的な感じがありました。あとYouTuber業を始めてしばらくしてから、謎に「お笑いコンテストの審査員は独占的でうんぬん」みたいな発言をして炎上してみたり…。

端から見れば別にのんびりYouTubeやっていればいいじゃないか、と思ったりもしますが、本人としては「次は何/誰と戦おうか」というどうしようもないエネルギーがあるのかもしれません。瞋性というのは、例えば、そういう対立的なエネルギーの持ち主と理解していいんじゃないかなと思います。

◆どんな職業に向いている?

わかりやすく相手の欠点をつくような職業、つまり格闘家であったりスポーツであったり、だれかと戦うことが仕事として入っているような職業は一定の結果を出すかも知れません。相手の欠点やスキをいかに素早く正確に突くのかというとき、キラリと光ります。また、議論することも好きそうです。参考文献には「反対意見を言わせると結構元気」などと書いており、なるほどなと思います。

世の中の仕事にはツッコミ役が必要です。「それってどうなってるの?」「具体的には?」「ここおかしいんじゃないの?」そうして悪いところを直していくはたらきが社会に必要です。あるいは野党的であったり、あるいは批評家的なポジションに収まることもあるかもしれません。そういう意味ではなんとなく、マツコ・デラックスさんあたりは瞋性のような気もします(世相を切るような語り口の上手な人は瞋性っぽい?)。

これも例としてどうかわかりませんが、ラッパーの呂布カルマさんあたりも瞋性っぽい気がします。とくに即興のラップバトルで相手を素早くディスらないといけないというとき、ちんたら考えている暇はないはずです。瞬発的にズバッと言わないといけない。瞋性のひとにはそういう瞬発力があるように見えます。

ちなみに、瞋性のひとに漫画を描かせると、やはり勝負の世界を描くときに楽しそうにしている気がします。「カイジ」や「嘘喰い」などの殺伐とした駆け引きの漫画であったり、あるいは「ドラゴン桜」などの実用書寄りの漫画もやりそうです(ドラゴン桜も受験の話なので、やっぱり勝負のおはなしですね)。
連載が続くにつれてめっちゃ絵がうまくなることも当然ありそうですが、どちらかというとどこかのタイミングで「用事が済めばそれでいい」ということで絵柄が一定の画風に落ち着くような側面がある気がします(ヘタという意味ではないです)。

◆クリエイター職には向いているのか?

クリエイターや芸術家など、なにか創作する職業にも瞋性の方はたくさんいらっしゃると思います。「貪性じゃないと創造的な活動に向いていない」などという考えは誤りです。

例えば木曜日にTBSでやっている「プレバト!!」の俳句コーナーで人気の夏井先生は瞋性っぽいかな?と個人的にこれまた勝手に思います。もう、めっちゃズバズバ言う。(笑)でも、俳句の悪いところをビシビシ直していくと、いつのまにかあの美しい俳句が出来上がっている。

物事の悪いところを、直して、直していけば、そのうち直すところはなくなります。これはシンプルですが重要な事実です。おそらく俳句というのは、そういったアプローチと相性が良いのではないかと思います。5・7・5という限られた音数と「季語」というルールのなかでどのように情景を立ち上げ心情をうたいあげるのか。無駄を削ぎ落としたその先にある美に辿り着こうというとき、瞋性的なアプローチはとても学びになると思います。

もうひとり心当たりがあるのが、カービィやスマブラの生みの親として有名な桜井政博さんです。任天堂の元代表取締役社長の岩田聡さんがインタビューで、桜井さんについて「ものがまったくできていないときに完成イメージが頭の中でほぼ完璧にできて動いている」と評していたのですが、そうした能力の源は瞋性的なアプローチによるものではないかとこれまた勝手に推測しています。あるコンセプトについて、あらかじめ問題になりそうな点をぱぱぱっと見抜いて、頭の中で対処し、組み立て終わっている。余計なものを後から途中からつぎ足してごちゃごちゃさせないので、「これで完成。」という一点にしっかり収束するのではないかと思います。

星のカービィ、スマブラ、カービィのエアライダーなど、氏のゲームは魅力たっぷりながらも基本のつくりがとても「すっきり」していてコンセプトが明快です。やりこみ要素なども当然あるのですが、やはり全体的に「無駄を削ぎ落とした美しさ」のようなものを個人的には感じます。「星のカービィ」のゲーム難易度をデザインする際も、「初心者の人がつまづくような障害を取り除く」というアプローチが多分にあったことは御本人の動画の中でも紹介があったかと思います。

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少し長くなりました。要するに、そのひとの性格にあった仕事の仕方というものがあるのであって、それは漫画・ゲーム・音楽といった様々な創造的フィールドにおいても同じであるという話を、私はしておきたかったわけです。色々な性格のひとに、それぞれの生き方と道があります。

ここまでで信性・貪性・瞋性の3つを紹介してきました。残るは痴性、瞋性、覚性の3つです。どれにしようかな。

では、また次回。

これは適当に書いたイメージ。ツノかわいいね。