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3ヶ月ぶりのリアルイベントが近づいてきた。どういうわけかいつになくそわそわと落ち着かないので少し記事を書いてから寝ようと思う。
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昨日の記事で「13年でひとはどう変わるのか」という雑な話をしてしまった。なんだか雑すぎた気がするので、もうちょっと話をしておきたい。
◆自分がなにをやりたいのか自覚できるようになった
大学時代の私は「なんか社会出たくないな」という漠然とした気持ちがあるくらいのうすぼんやりとした人間だった。絵は好きだったがそれは筋肉ムキムキのアンパンマンを描くのが好きという程度のことであり、がっつりと漫画を描くようなことは結局ほとんどなかったのである。絵の技法書は図書館で借りて練習していたが、その程度であった。
大学を卒業し親父の会社に勤めながら絵や漫画をやるにつれて、自分がどんな漫画や絵に惹かれて生きてきたのかを少しずつ思い出していった。それが2013~2018年の期間にやった「ほんとうのしごと」だったのかもしれない。実家でゴロゴロ寝転がりながら「ロトの紋章」を読み返している程度のことといえばそうなのだが、自分が何をしたいのか、どんな表現に心惹かれたのかとていねいに再発見する過程そのものが創作の出発点であり目的地だと今では思う。
「紙とペンと黒インクだけで地平線の彼方どころか異世界まで旅することができるのだ」と気づいたときの興奮は小学5年生頃の記憶である。「ロトの紋章」の11巻あたりを読んでいた頃だろうか。そうか、俺もこれを描いていいのか!と急に選択肢が目の前に現れたのである。結局画材屋で買ってきたつけペンとトーンが難しすぎて2秒で挫折したりしたのだが、時間をかけて、あの頃の興奮をゆっくり思い出す必要があった。それが本当の意味で思い出せたのが2018年頃、わたしが「ニコの旅」の最初の1冊を描いたときのことであった。子供の頃の情熱を思い出すまでにかかる時間はひとそれぞれである。

◆できることとできないことを自覚するようになった
2013年春から働き始め、仕事のスキマ時間などでネットを徘徊して好みの絵柄や「これなら真似できそうだな」みたいなものを探しながら真似する日々が2,3年ほど続いた。そこからさらにその次の3年で、自分の描けるやり方・描けないやり方があると身にしみてくるわけである。
何度かリスナーには話したことだが、最初は「BLEACH」みたいなオサレな絵柄の漫画を描いてみたかったしそういうキャラを描いてみたかった。が、どうもピンとこない。どんなに一生懸命描いてもピンとこなかった。一方、「リボンナポリン」のラベルの女の子をパッと真似して描いたら、何気ないのだがピンとは来たのである。同じ理由で、あだち充先生のキャラの目や顔立ちなんかも真似してみると、これはまたピンときた。結局、ピンと来る方向で絵を組み立てていったほうがよさそうだという結論になりいまのような「めんこい」かんじの絵の方向性が定まっていった。
できないことを「できない」と認めることは勇気がいる。と同時に、できることをやるというのは思った以上に地味な出来事である。「できない、できない」と言いながら同じ壁に当たり続けるよりも、できることを地味に毎日続けることのほうが時として困難である。だがそれができたとき本人に合ったほんとうの作風、らしさというものがついてくる。才能というのは本来地味なものだと思う。
つまり私の場合、「いつかジャンプで連載するようなオサレな少年漫画家に」というふんわり漠然とした夢を一度ちゃんと諦める必要があった。それができたところで具体的な次の進路が立ち上がってきたわけである。諦めることはネガティブなことと思われがちだが、実のところ、自分のまだ自覚していないキラキラしたあたらしい選択肢と出会うことと同じである。
◆物語の構造を守りながら漫画を1話描きれるようになった
「物語の構造」の本については大学時代に主に大塚英志先生の本をいくつか読んで勉強していたが、大学時代にお話を作ろうとしてもどうもうまくいかなかったものである。
どんなに短く拙くても、「お話を1話描き切る」という経験は何度でも重ねたほうがいい。”「物語る」という能力は後天的に身につけることができる”というのが、物語の構造やストーリーテリング・脚本術を学ぶとてもポジティブな理由であるし、わたしもそうした言説を信じて色々やってみていたわけである。が、「身についた」と言えるような状況になるまでどう少なく見積もっても6、7年はかかった。7年間みっちり漫画を描いていたわけではない。が、途切れながらでも拙い漫画を数話描いて年月を過ごした。「これ何の話なんだろうな」と首をかしげることばかりだったが、あるとき「あっ」となるのである。ちゃんと物語を始めて、たしかに終わらせた(オチをつけた)というあの手応えと出会う。いままで構造をなでるだけだったものが、ちゃんと「お話」になる瞬間がある。これは、とにかくある。あるとしかいえない。
個人的には、漫画のお話を考える・物語るという訓練はちゃんと脚本術の本などを読んで基礎を勉強したほうが多くのひとにとって予後が良いと思っている。私自身が後天的にそれらを身に着けた人間だからである。
が、その上で「構造をなぞるだけだとなんかサラッとして終わっちゃうだけだよ」ということも言いたいわけである。仏作って魂入れずとはいうが、多くの人間は、まずはハリボテの仏を作れるようになるのが先だと思う。
とりあえず無闇にsave the catの法則と ストーリーメーカーあたりをオススメしておく。物語の構造やそれらを整理する方法については、そろそろHPにポコポコ描いていきたい。

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少しは具体的な話をしたつもりになったので気が済んだ。1つ最後に言いたいのは、人生の情熱を見失ったときや創作的な目標を見失ったとき、小学3~5年生頃に夢中になって気になって仕方なかったものを思い出すことはとても重要だということである。たしか富野由悠季先生もそんな主旨のことをどこかで言っていた気がする(ソースが欲しい!!私が見たのはtwitterの富野由悠季名言bot)。
私自身の身の振り方や創作のありかたを見ると「ああ、そのとおりだった」と思わざるを得ない。「ロトの紋章」を単行本で遅ればせながら追いかけていたあの頃の興奮と言うか憧れと言うか、ほんとうに焦がれていたのである。とにかくああしたファンタジー世界について胸がいっぱいだったあの頃の情熱である。あの気持を思い出すにつけ、わたしは何度でもあの気持に帰らねばならないと思いを新たにするものである。まあ、それでもよく忘れちゃうんだけど。
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気が済むまで言葉を吐き出してから寝ようと思ったら日付が変わってしまった。明日はいよいよ大阪イベに向けて出発する日である。イベント前日に会場のギャラリー「久遠 南堀江店」さんにお邪魔して配信のセッティングをする感じであり、明後日はいよいよ本番である。551の肉まんを食べたりなどして、頑張りたい。
眠る!おやすみである。

