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仏教における性格分析の4つめ、今回は「尋性(じんしょう)」を紹介してみます。前回の「瞋性」はこちら
※事前注釈
・仏教では6つの性格があると説明されるが、それぞれの優劣や上下関係があるわけではありません。
・ひとの性格を正確に言い当てることは本来むずかしいことです。あくまで気楽に参考程度にご覧いただければと思います。
・「ブッダの実線心理学 アビダンマ講義シリーズ第七巻 瞑想と悟りの分析①(サマタ瞑想編)」をメインの参考書籍として、松村個人の理解をだいぶからめつつ紹介する記事です。

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◆尋性は「議論好き」?
尋性は「頭の中でずっと議論をしている」ような性格だと言われています。議論が好き。結論に達することが目的というよりは、議論している状態やその過程そのものを楽しんだり検証したりするのが好きな性格だそうです。
表面的には物静かだったり、あまり顔に表情が出ないかもしれませんが、何も考えていないわけではなく、頭の中がいつでも言葉で一杯なので言葉としてなかなかまとまって出てこないということみたいです。
◆尋性は疑い深い?
尋性の人は「ああではないか、こうではないか」と検証が止みません。学者っぽい性格といえばそうかもしれません。いつでも何かを「疑っているような」状態ではないかと個人的に思います。とてもよい結論に達しても「いやまてよ」と、どこかで思っているのです。安易に結論したくないのでしょう。そのうち、「疑っている自分さえも疑ってしまう」ようなところまで行ったりして、なかなか帰って来なかったりすることもありそうです。
個人的に一番対照的だと思うのは信性です。信性は簡単に人を信じてしまいます。尋性の人は反対に、人のことを信じ切るということがあまりないように思います。相手を完全に信じ切ってすべてを任せっきりにする…という態度は苦手かもしれません。人間関係において一定の「保留」みたいな部分がかならずあるし、恐らく消せないのだと思います。
◆何にも捕まりたくない性格?
有名人で一人パッとおもいつくのはひろゆきさんです。本人が何にも捕まりたくない。のらりくらりしている。だれかと議論や討論するときも、「この場合は?あの場合は?」と、時にはどうでもいい例まで持ってきて議論そのものが収束しないような感じになっていたりします。結論を出すのではなく、うだうだと議論している状態が一番ウキウキするのではないかと思います。瞋性(怒り型)のひとが相手に勝つ・勝負の目的で議論を仕掛けても、尋性のひとはひらりひらりと議論を交わして煙に撒いてしまいます。真面目にやっているのかと腹を立てたくなるかもしれませんが、本人は至って真面目です。
総じて、結論を出したくない、自由でいたい、何にも捕まりたくない、というのが尋性のひとの基本的な気持ちではないかな、と推測します。
◆どんな職業に向いている?
これはどうなってる、あれはどうなってる、といった色々な検証や確認が必要な仕事は向いていると思います。知識能力があるなら学者としてしっかり結果を出すんじゃないかなと思います。恐らく数字を扱う職業も向いている気がします。事務的な仕事や、裏方としての職務に向いている気がしますし、本人もそのほうが落ち着くと思います。
表立ってリーダーシップを取る立場にさせる場合は注意が必要だと思います。おそらく、尋性の人はあまり目立ちたくないと思っているし、なんなら写真に映ることもあんまり好きじゃない可能性があります。尋性はなにはともあれ「捕まりたく」ないんじゃないかと思いますし、それは他人の視線であってもそうではないかと思います。無理に表舞台に引っ張り出すと本人が強いストレスで潰れる可能性があるため、人材を配置する際には注意したいところです。本人が望んでなる場合は、恐らくかなり強い決心のもとそれをやることと思います。
(一方で、「でもたまにははっちゃけちゃおうかな」みたいな茶目っ気もあったりして面白い人たちだったりしますが、たまにしかはっちゃけないので、目立ち慣れていない人間の独特の風味を帯びがちで、これも面白いです)
ちなみに、もうひとり「おそらく尋性ではないか?」という人物を挙げるとするならば、任天堂元社長の岩田聡さんが恐らくそうではないかなと思います。これといった根拠がはっきりあるわけではないのですが、岩田さんがHAL研究所や任天堂で社長を務めていたとき、「社員全員と納得行くまで面談する」という方法で社員とコミュニケーションを取っていたと書物などで伺いました。これは「お互いに”疑い”がなくなるまでしっかり話そうではないか」という態度だと思います。どんなに労力がかかっても、社員全員としっかり話して「これがこうなっている、これがこうなっている…」とていねいに整理していくことを選んだわけです。とても誠実な態度だと思います。色々な考えが頭に浮かんで、つい色んな議論や疑いを抱えてしまいがちな尋性的な面があったからこそ、自分や周囲の人間にも疑念が残らないように精一杯務めたのではないかと勝手に推測しています。
◆どんな創作が向いている?
恐らく「世界観」や「設定」をモリモリと深堀りしていくのは好きそうですが、とくにどんどん「自分だけがわかっている世界の設定」を全力でぶん回していくような感じになると一番馬力が出るんじゃないかなと思います。頭の中の議論をそのまま出してしまう。世界全体を使った「会議」でよろしい。
漫画家さんでいうと「映像研には手を出すな!」の大童澄瞳先生あたりは尋性っぽいような気がします。映画監督なら押井守監督、「攻殻機動隊」の原作の士郎正宗先生も尋性っぽい気がします。
共通しているのは、世界にものすごく「理屈」があるのですね。自分独自の世界の「理屈」を考えるのが好きですし、作品全体も理屈っぽかったり議論が絶えなかったりします。で、作品全体としての結論は出ないかも。議論している状態自体が目的だからです。
注意すべきなのは、自分の世界の設定みたいなものを、さらに自分の世界の用語で説明するみたいなことに陥りがちな気がします。学者が学者用語を素人にそのまま話して、まるで伝わっていないことに気づいていないような事態は多そうです。本人の「頭のなかの議論」をそのまま本当に作品にしてしまうと、周囲はそのままではついていけませんので工夫は必要です。
総じて、読む側にちょっと一定の気合が必要なものをつくりがちかもしれませんが、あくまで傾向の話です。「読者のお前らが気合を入れて読め!」と開き直るも良し、用語をていねいに紐解いたり、聞き慣れないワードでも状況やビジュアルで意味や意図が伝わるように工夫してもよし、わけがわからないまま読んでくれればよしともう一度開き直っても良し。本人なりの理屈や議論が爆発するようなものが出てこれば、周囲も困惑しながらも面白がってついてくるのではないでしょうか。自分の議論や理屈を描き切れる画力が伴えば、鬼に金棒。
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尋性については以上です。いつにもまして個人的な推測が多めですが、どういうわけか仲の良い友人や付き合いの古い知人などに尋性がそれなりにいたりして、「このひとたちって、こういうことなんじゃないかな」と感じる部分が割とあったため、ついでにまとめてみました。私が参考資料で読んだ本の記述は1ミリくらいしか残っていない気がするので、本当に参考の参考の参考程度に読んでいただければ幸いです。
残るは痴性と覚性です。どっちをラストにしようかな。ほな、また。

