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コミティア155、来年2月22日にある一次創作オンリーイベントの申し込みを完了した。コミティアは一応毎回抽選が行われる。倍率は変動するが一応、基本的に受かるものと思って飛行機やホテルを予約する。
見つからない。いや結果的には見つけたのだが、普段遣いに愛用しているホテルは、そもそも空いていないか値段がつり上がっていて手が出せない。それもそのはず、よくみると2月23日は天皇誕生日になっていて記憶に新しすぎる3連休が爆誕していたのである。そのせいだけなのかはわからないが、連休最終日とその翌日で飛行機の値段が¥12,000ほど違っている。食費など細かい出費を度外視すれば、宿によっては1泊増やしたほうが安くなる有り様である。あまりこのような事態に直面したことがなく、いささか動揺した。
さて2月下旬はそれなりに忙しいはずである。なんといってもここ数年は2月コミティアには出ずに丁寧(当社比)に確定申告をしたり、卒業シーズンに合わせたあたまのわるい歌動画をせっせとつくったり、長期休みに合わせたpixiv用の投稿などを用意したりとそれなりにあわあわしている時期である。本来通りに行くならば、割高になった飛行機代に歯を食いしばりながらさっさと帰って庶務を果たすべきなきもするが、なんか悔しい。よほど何か東京で見たいものがないのならさっさと月曜に帰ったら良い気もしたが、ここでいつも諦めていた1つのことを思い出してしまう。
ライオンキングの有明公演である。劇団四季である。
毎年参加させてもらっているデザフェスなども土日を使うことが多いイベントで、ちょうど有明あたりで宿もとったりする。劇団四季の劇場も、有明にある。であれば、土日あくせくはたらいたあとに月曜に優雅に舞台でも見ようではないか、とかねてより何度か思いついてはいたのだが、その度に月曜の「休演」の2文字に涙を流したのであった。まあ、土日がカキイレ時で本番なのは、あちらも同じであるからしてどうしようもない。
…と思っていたところに、幸か不幸かの三連休の公演である。なるほどそういうこともあるのか、ということで、せっかくの機会と思ってS席を迷わず選んで予約した。こういう、たまの舞台は一番良いグレードの席を選ぶようにしている。経験上、それで後悔したことは1度もない。あとは無事、コミティアの当選を待つのみである(落ちたら一緒に泣いてほしい)。
デザフェスの申込みや飛行機・ホテルの手配もしなければならない。移動宿泊手段の確保の難易度は以前より上がっているように思う。気忙しいようだが、余裕をコイているとまた「ホテルがない!」と慌てることになってしまうので、善は急げである。
ちなみに、舞台のチケットをとってしまったので2月上旬にある合唱団OBとしての札幌行の確率はおどろくほど低下してしまった。気がする。もし行くことになればひとつきの間に2つもホールで芸術を浴びることになり、随分と豊かな冬になるのだが、可能性は流石に未知数である。(働くぞ❢)まあ、東京に行くことになれば久しぶりに大学の合唱の後輩と飲む予定はあるので、それでよいことにするという話もある。
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さて、以下は「なんかしゃべること思いつかなかったときように昼間に日記っぽいものを書いておこう、と思って書いた文章である。長くなるが消すほどでもないので、少し長めの日記として消化してもらえればと思う。
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「せいぜい頑張ってください」と聞くと、どんな感じがするだろうか。私にはどうしても嫌味っぽく聞こえるのだが、上の世代からすると必ずしもそうではないらしい。

引用元 https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20150601_3.html
「言葉は生き物である」という言説をどのくらい是として野放しにするべきかは疑問が残る。あんまりにも言葉の意味が一意に定まらないというのも不便極まりないし、いちいち「それってどっちの意味?正しい方?」と聞き直すコストも無視できない。
一方で、言葉を使う人間が生き物なので、世代が移ろっていく過程できっちりとした杓子定規な運用にとどまるはずもないし、固定できない。いままで甘いと感じていたものを、苦いと感じろと言われても、正直キツかろう。「せいぜいがんばれ」と言われて、嫌味と感じる心をいちいち調教するほうが無理筋ではないかなと思う。
できないことにどのくらい踏ん張るべきかという、程度の問題になるのだろうか。私にとってあまりにややこしいので日記で触れるには荷が勝つ問題である。しかし、もう少しだけなにか書いてみる。
1つ思うのは、たとえばコロナ感染が広がりはじめた当時。症状の重さで「軽症、中等症、重症」という言葉がニュースやSNSを飛び交った際に「この症状の辛さで”軽症”だなんて!」とうろたえる投稿がTwitterあたりで相次いだことが記憶にあたらしい。
こうしたときは、ちゃんと医学的に使われている「軽症」という意味にちゃんと沿ってリアクションすべきと思う。一般人がなんとなくイメージする「軽症」と、学問的な「軽症」では意味や強さ、区切り方などなにもかも違うはずである。素人が大騒ぎして現場に迷惑をかけるのは違うはずだ。
つまり、ある程度専門性を孕んでいる単語について「なんとなく」使うのは良くないんじゃないか、という話である。私に推測できるのはそのくらいである。とはいっても、私は絵描きとして日常的に「アナログ(手書き)」や「厚塗り(なんか油絵っぽいテイストの、線画より色線メインの絵)」などの言葉を使っている。本来のアナログ(連続的)デジタル(離散的)からはかけ離れているが、絵描き界隈でのコミュニケーションでは誤用のほうで浸透している部分が大きかろうと思う(推測)。こうした流れを、一人の人間の努力で巻き戻せるというわけではないので、はて、どう振る舞うべきだろうか。私にも、知らずに多くの誤用が染みつているはずである。
せいぜいできるのは、言葉が「どう変化していったか」という歴史を一緒にいくらかでも把握しておくくらいではないかと思う…という程度の、適当な感想しか持てない私の不真面目さも一緒にここに告白しておくことにする。
言葉狩りをするのでなく、かといって猿のように野放しでもない言葉との付き合い方というものはないものだろうか。
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ここまで読んでくれてありがとう。ちなみに今日は今日で自分の絵を2、3枚ほど、裏の仕事を少々進めた。思ったより捗った1日であった。先に自分の気になっている絵をやるのは精神衛生にやはり良い。少なくとも、いくらかはすっきりする。明日からもまた頑張ろうでわないか。あと、おかげさまで微熱は引いた。
でわでわ。寝るのだ。

