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昨日は爆裂に日記を忘れた。よほど疲れていたのだろうか、とてもナチュラルに日記を忘れて床についてしまったのである。今日もちょっとうっかり日記を忘れそうになったが、ちゃんと思い出した。
昨日あげた動画が、前回の動画に引き続き好調な出だしで伸びつつある(当社比)。率直に嬉しい。どういうわけか動画を上げた告知のツイートもうっすらと伸びている。通常、配信や動画の告知ツイートは伸びない傾向が強い。最近のツイッターは、わからない。
昨日あげた「漫画を書くハードルを下げる」の動画は、はからずも「視覚優位」の人間としての漫画アプローチになったと思う。わたしは言葉ではなく視覚がいつも先に来る。漫画を思いつくとき、映画の予告編のようにバラバラのシーンが別々に浮かび上がってくる。良さそうなクライマックスのシーンとセリフがバンと頭に思い浮かんだとき、そのクライマックスのためだけにでも漫画を描こうという気になるわけである。勿論、生まれついてそれができるというわけではなく、漫画をやっているうちに訓練された部分は大いにあるのだが。
「YAWARA!」や「20世紀少年」で有名な浦沢直樹先生も、どこかのインタビューで似たようなことを仰っていた。というか、わたしはむしろ、自分の漫画を描き始めつつあった頃にあって氏のインタビューに出会い「あ、そのやり方、わかるかも!」と勇気をもらったクチである。おそらくだが、優位な感覚が似ているのだと思う。
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漫画はまず見た目と思う。小説や新聞と決定的に違うのはまさに「見た目」と言って差し支えないはずである。視覚優位の人間に有利なメディア…なのかまで断言するのはいささか行き過ぎという感が強いが、その性質上、有利に働く側面は決して少なくなかろうと個人的には踏んでいる。
個人的に、あるいはYouTubeの動画や配信に寄せられる相談としては、「物語は思いつくが、漫画が描けない」というものである。現在の私は、不遜な言い方になってしまうが、これにあまり共感できていない。物語があるのであれば、あとは描くだけではないか、などと悠長に思ってしまうわけである。しかしそれでは相談者に寄り添ったことにならないし人の役にも立ったことにならない。なにか考える必要があると思う。
描きたい絵の練習をする、構図の引き出しを増やす、ということは大前提としたうえで、そうしたできごとの、なにか「ちょっと前」のところで引っかかりがあるような気がする。「物語→漫画」がスムーズに行かないという人の話を聴く限り、なにか、私がちょうど共感できていないところで止まっている。はたして、それがどこなのか。よくわからないが、「とにかく画力をあげればいいんだ、練習しろ」だけだとケアできない何かが潜んでいる気がしてならない。(気のせいかも知れない)
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当然のことながら、6つの感覚ー見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れる、考える(言葉)ーのどれが鋭いのかは人による。わたしはYouTubeや自身の技法書では一貫して「見た目」だけでどうするかというアプローチを紹介してきた。なんというか、やはりどう振り返っても、視覚優位的アプローチが中心だと思う。
で、一方で漫画の「おはなし」を考えるとき、おそらく「言葉」「考える」の領域が一生懸命働く。気がする。わからない。とりあえず仏教では、言葉・想像する・概念をあれこれいじる、などの頭でやることはすべて「意」という一言でまとめている。わたしたちが言葉をしゃべったり、物語を理解するのは、すべてこの「意」という感覚での出来事である。
わたしはおそらく、言葉だけでお話を考えるという状況にいまいちピンと来ていない気がする。勝手な解釈だが、「意」と「眼」の連携がつよい気がする。物語が思いつくということは、ほぼ同時に、対応するシーンが視覚的にある程度は思い浮かんでいる状況だろうと無批判に信じてきた。すべての人間が、練度の差こそあれそうだろうと勝手に思っていたが、どうも違うらしい。
(これは余談だが、将棋の藤井聡太さんの、将棋を打つとき盤面をイメージするのではなくシンプルに棋譜だけで手を読んでいるというエピソードを聞いたとき、それがどういう状況なのかわたしには全くわからなかなった。これはこれで、全く共感できない状況である。さすがに私だけじゃない気もするが。)
何から手を付ければいいかまだわからないが、「物語→絵、シーン」の手続きをなめらかにする方法を開発するなりなんなりすれば、私はいままで力になれなかったタイプのひとたちの役に立つことができるのだろうか。正直、言語優位で絵のアウトプットを後天的に獲得したタイプの作家さんがいればその人がいちばん師匠としてふさわしいと思うのだが、誰がそれに当たるのかわたしにはよくわかっていないし、そういう作家さんの友達もいない…….。
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場合によって、自分ではやっていないような技法を人様に紹介するようなことになるのだろうか?自分とタイプの違う人間の役に立つとは、そういうことも含むような気はする。自分でやっていないのに良いのか?とちょっと思ったが、たとえば医者は患者さんに出す薬をさすがにすべては飲まないはずである。たまたま風邪を引いて同じ薬を飲むこともあるだろうが、全部いちいち患者に合わせて飲んでいたらたちまち死んでしまうはずである。例え話が適切かはわからないが、そんなアクロバティックなことを私はする日が来るだろうか。どうなのだろうか。話がややこしくなってきたので眠たくなってきた。
とりあえず、「言葉→ビジュアル」のリンクのつくりかたみたいなところでなにか動画が作れないだろうか。自分の右脳になんとなくキューを投げておいて、今日は眠いので寝るのである。もしムリポということであれば、またなんか違うあれを考えようと思う。
おやすみである。寝るのである。

