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2、3ヶ月くらいをかけて少しずつ進むタイプの、謎のプロジェクトが進行中である。一体なんなのだというのだろうか。1日にドカンと進むタイプの仕事でもないが、あんまり油断していると年内に終わらない可能性が浮上してくるので厄介である。
「youtubeやツイッターを見まくっているとドーパミンが出過ぎてMPを消費してしまい何もできなくなるが、ドーパミンリセットをすることで一日の意欲を回復できる」…みたいなツイートを朝布団の中で見たりした。「なにかをしたくなっても、なにもしない」という、抑制の時間こそが真の休養である、という言説である。
一方、上座部仏教で言うところの、ヴィパッサナー瞑想における「なにかが頭に思い浮かんだり、なにかやりたいことができてもひたすら放って置く」という所作がまさにドーパミンリセットなのではないか、という言説もあり、それは体感的にも個人的には頷ける。
現代人の慢性的な疲労感とは、意欲の暴走と感覚の刺激のしすぎによるものと思う。そんで、瞑想とは「刺激をどこまでも追い求める心」を落ち着かせて現象を観察しまくることである。そこまで踏まえるとたしかに、現代人にいまこそ瞑想がピッタリじゃないかという気がしてくる。私もなんとなく朝のはじめや午後に歩行瞑想をなんとなく実施し、それなりに気分よく過ごした。気がする。なんというか、1日というものに対してなんだか逃げ場がないような気持ちになったときこれをやるとホッとして、落ち着くのである。もっとマメにやったほうがよさそうだなとやるたびに思うわけである。
ひとの心は何らかの刺激を求めるものである。見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れる、そして考える(言葉・概念)という、6つの感覚を刺激するわけである。生きているとは、感覚があるということであり、たとえば現代人の考える幸せとは、この感覚を「いい刺激」で埋め尽くすことを想像していると思う。
しかし、刺激とは言ってしまえば「痛み」である。痛いことは嫌なはずだが、心はそれをどういうわけか欲しがっているという。刺激ということを無批判に良いものとして浴び続ければ、痛みを痛みと知らずにダメージを溜め込んでしまうことになる。結果、そのうち「何をやっても楽しくない」という飽食状態になったりするのではないだろうか。まあ、適当に喋っているのだけども。
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ケンタッキーおいしいお(刺激)。
やっぱりチキンはおいしいね。
じゃ、おやすみ。
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